Ref: WarnerBros.com

映画『ビッグ・ウェンズデー』をサーファーだった僕はこう感じていた

シリーズ「サーフィン新世紀」13

追悼ジャン-マイケル・ビンセント
“ ありがとうジャン、君が演じたマット・ジョンソンは永遠に不滅だよ ”
文、李リョウ


映画『ビッグ・ウェンズデー』が公開されたのは1978年。1978といってもピンとこないかもしれないが、サザンオールスターズがデビューしたのがこの年。さらに今はなき後楽園球場ではキャンディーズが解散コンサートを行って普通の女の子に戻ったり。あの「スターウォーズ」の第一話が劇場公開され空前の大ブームとなるなど、かなり昭和な昔話がつづく。

さて、サーフィンの世界では映画『フリーライド』が、新作として世界中のサーフシティで上映されてサーファーの心をわしづかみにし、ショーン、ラビット、MRはまるで三種の神器のような扱いとなり、「バスティン・ダウン・ザドア」の号令とともに新世代の風が、アンダーグラウンドな空気に満ちていたサーフィンの世界を一掃しようとしていた。

そのころの僕はまだ19才で、映画『フリーライド』に心酔し、いわばニュースクーラーのような生意気なサーファーだった。そういうこともあってロングボードが登場する映画『ビッグ・ウェンズデー』には興味を抱いていなかった。当時はサーフボードといえばシングルフィンのショートボードで、MRのツインフィンフィーバーが起こるか起こらないかという頃だ。トライフィンはまだ誕生していない未来の乗り物。もちろん90年代のロングボード・リバイバルはまだまだずっと先の話。だからあの頃に、もしロングボードを持ってビーチを歩いたら、珍しがられるか笑い者になっただろう。

話を映画に戻そう。とにかく僕は映画『ビッグ・ウェンズデー』に期待はしていなかった。でも劇場に行って鑑賞はした。したことはしたけれど、やはり予想したとおり感動はなかった。むしろPTやイアン・カーンズがスタントで出演していてバレバレだったところで笑ってしまった。ブルース・レイモンドがワイプアウトのシーンで使われたという話を聞いていたから、そこも見て「ああここか」と思った。ジェリー・ロペスがバックサイドでサーフィンをしてなんだか妙な感じがした。ジャン-マイケル・ヴィンセントたち主人公3人が、サーフボードを持って歩く所作にも不自然さを感じた。なんかサーフボードの持ち方がサーファーぽくない。どこがどうというのではなく、サーフボードを持ち慣れていないように僕には見えた。

ジャン-マイケル・ヴィンセントの筋肉もジムで鍛えた感じで、サーフィンのパドルでつけた筋肉じゃないよな~という印象が残った。つまり僕にとってのヒーローだった映画「フリーライド」のラビット・バーソロミューやショーン・トムソンと比べるとヤラセ感満載だったのだ。でもそれはしかたない、だってジャン-マイケル・ヴィンセントは雇われて演技をしていただけだからね。ビッグウェーブをスタント無しでサーフすれば見直しただろうけど、それは無理な話。

Ref: WarnerBros.com ジャン-マイケルとジェリー・ロペス

さて、『ビッグ・ウェンズデー』のファンには耳にしたくないことばかり書き綴ったけど、この映画の好きなところが一つある。それはサーファーの人生を描いているところだ。年齢を重ねてからこの映画を見直すと、そこが面白くなってくる。さまざまな人生の岐路に立つ主人公たち、そして最後にビッグウェーブに挑戦し男としての矜持を貫く。それはお決まりの陳腐なストーリーかもしれないが、でもオヤジになった僕の胸に「ぐっと」来て目頭が「じーん」と熱くなるのは否めない。この映画そのものは何も変わっていないはずなのに、僕自身が経年によって変化し(劣化じゃないよ)、この映画の主人公たちが、さまざまな場面で抱える悩みや思いが、自分の実体験と重なるようになったからかな、と無駄に生きてきた僕でさえ思う。

さて主人公マット・ジョンソンを演じた故ジャン-マイケル・ヴィンセントについて書かなければならない。彼はハリウッドで成功して、TVドラマの出演料は当時最高額とも言われた。だがそんな輝かしい時代もつかの間で、しだいに酒とドラッグに溺れ、その結果交通事故や障害事件などの災いを自ら招き、急坂を下るように落ちぶれてしまう。いったい彼に何が起きたのか明らかにはされていないが、彼の父や祖母もアルコール中毒の問題を抱えていたようだ。彼についてネガティブな話題しか無いのはつらい。この映画を見直すと悲しみがさらに増すのは僕だけではないだろう、しかし泥酔したマット・ジョンソンが海に浸かって酔いを覚ますシーンからこの映画が始まるなんて、偶然とはいえ複雑な気分になる。

ジャン-マイケルの死については心から哀悼の意を表したい。銀幕では華々しいヒーローを演じてスターに成ったとしても、一個人としての人生はつきまとう、そこには名声や金では解決できない問題が多い。もし彼が、この映画の出演によって出会ったサーフィンにもっと夢中になっていたら、もう少し違った人生を歩んだかもしれないなと僕はつくづく思う。(彼にサーフィンの習熟度がどれくらいあったかは不明)。
ジャン-マイケル・ヴィンセントは天国に召されてしまったけれど、マット・ジョンソンは永遠に映画『ビッグ・ウェンズデー』のなかで輝き続ける。さようならジャン-マイケル、安らかに眠ってくれ。
<文章まだ続きます>

Ref: WarnerBros.com

さて、映画『ビッグ・ウェンズデー』についてトリビアを少し。映画『ビッグ・ウェンズデー』の監督はジョン・ミリアスで脚本はデニー・アーバーグ。デニーは60年代のサーフスター、ケンプ・アーバーグの弟。デニーがマリブでサーフィンをしていた若い時代の経験が基になっている。映画のストーリーラインは1961年から1974年までの3人のサーファーの人生物語という設定で、最後に大波をサーフするというクライマックスで結ばれる。製作会社はワーナーブラザーズ。じつは興行的には失敗しているのだが、カルト的作品として今もこの映画は生き続けている。
 
映画の製作時には世界トップクラスのサーフィン・カメラマンが集められた。グレッグ・マクギバリー、ジョージ・グリノー、ダン・マーケル、そしてバド・ブラウンたちである。スタント・サーファーとしては世界チャンプのピーター・タウネンドからイアン・カーンズ、ジャッキー・ダン、ビル・ハミルトン、J・リドル、ブルース・レイモンド、さらにジェリー・ロペスは実名で出演している。撮影場所は、カリフォルニアのプライベートビーチやハワイのノースショア、そしてエルサルバドル他などでも行われた。

マット・ジョンソンがクライマックスでチューブに入るシーンのスタントはジャッキー・ダンがパイプラインのレフトでサーフし、反転した映像が使用されている。映画に登場するベアーのロゴを気に入ったビル・ハミルトンは、彼自身のサーフボードレーベルとして許可を得たつもりで使用するが、口約束だけだったために後にワーナーから訴えられた。

Ref: WarnerBros.com 中央が監督のジョン・ミリアス

日本ではヒットした『ビッグ・ウェンズデー』だが、アメリカでの評価は、一般紙とサーフメディアの両方から酷評された。「出演者たちの会話を聞いていると、恥ずかしさを覚える。テレビのメロドラマのようなシーンが長く、サーフィンのシーンは短い」サーファー誌。「ジョン・ミリアスは自己満足のためにワーナーから大金をせしめた。彼以外はこの映画を面白いと感じないだろう」ニューヨークタイムス。

映画の製作費は1100万ドルだったが売り上げは450万ドルしか得られなかった。しかしビデオレンタルではゆっくりとではあるが着実に売り上げを伸ばしている。その後、1998年にニューポート・フィルム・フェスティバルで『ビッグ・ウェンズデー 』が上映され、出演した俳優や関係者が集まって20周年のパーティーが開かれた。そのときには評価が変わりロサンジェルス・タイムスは「サーフィンの人生を正当に描いた貴重な作品」またサーファー誌も「映画『ビッグ・ウェンズデー』はサーファーでいることを誇りに感じさせる作品」と評価を変えた。しかしサーファーズジャーナル誌は、封切りから時間が経過しても「未だ深みがなく感傷的すぎる」とし「ベイビーブーマー世代のノスタルジックな感傷を狙ったマーケティング戦略」と酷評した。

僕個人の意見では、映画『ビッグウェンズデー』はこれからも消えることのない名作として生き続ける気がする。なぜならば時代背景がレトロなロングボードの世代だから、世の中が変化しても色褪せることがない。さらに、サーファーが待ち続けた大波に挑戦してフィナーレを迎えるという、スリリングかつ分かりやすいストーリーは誰が見ても面白い。また『BIG WEDNESDAY:ビッグウェンズデー』というタイトルやロゴがユニークで目立つということもあり、サーフィンに興味を持った新しい世代が、一度は見てみようかなと手を伸ばしやすく、それが世代交代の度に起こる。などの理由により名作として残り続けると思う。

(李リョウ)

Ref: Encyclopedia of Surfing by Matt Warshaw

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