F+(エフプラス)
令和2年、ネズミ年、本年もよろしくちゅ~。
サーフィン界としては年末年始、日本人女子初(?)のCT選手誕生で、都築有夢路祭り、大々的に開催だったわけだけど、なんか、どいつもこいつもよく調べもしないで、あまりにも初、初、ってうるさいので、水を差すわけじゃないけど、とある人の口癖を借りれば、リスペクトが足んねぇ~よ、的気分になったおばさんなのであった。
WSLになって日本人初、日本人女子初、という言い訳もあるだろうけど、ASPとWSLで、ワールドタイトルは分けないのにクオリファイは分けるってのもおかしな話で、ケリーが11Xワールドチャンプであるならば、カノアは日本人2人目で男子初CT、アムちゃんは日本人3人目で女子2人目のCT選手、であるべきだと思う。
分けるなら、ミックもケリーもノータイトル(笑)。
かくいうおばさんも、もう四半世紀前のことなので、記憶があいまいで、誰かの引退で小野里が繰り上げトップ8だったのは覚えているけど、それがCTかどうかは定かではなかった。気になって本人に聞いたら、「CTにいました~、9位だったけどキャシー・ニューマン引退の繰り上げで~」とオフィシャルコメント(笑)。
昔は印刷物でメディアガイドなる冊子ものがASPから出ていて、それはいまだにうちの仕事場の片隅に保存されている。それをひっくり返してみたら、出てきました。ミユキオノザト・ジャパン。翌年のCTランキングもありました。
※編集部注
World Surf League(WSL)の前身となるAssociation of Surfing Professionals(ASP)は、現在のようなチャンピオンシップツアー(CT)とクオリファイングシリーズ(QS)の2部リーグ制を女子にも導入。前年の女子QS上位8位までが、翌年CT入りできることになっていた。1994年、小野里は9位にランクインしていたが、6位のキャシー・ニューマン (AUS)の引退により、1995年にCT参戦が決定した。
日本人初のクオリファイヤーである小野里美之がCTツアーを回った1年、私もいっしょにツアーを回っていて、それはF+の前身であるflowの創刊当時のことだったかなぁ、と思う。明確に記憶しているのは、駐車場がないフランスで、トップ8には各選手にスポットが用意されていて、やっぱ扱い違うな、と感動したことぐらいで、人間の記憶というのはしょうもないことばかり拾っている。
男子がCTとQSに分かれたのは一足早く、92年のことで、当時はトップ44。前年の91年にケリーは43位で滑り込みクオリファイ。翌92年にCT1位で初ワールドタイトル、ルーキーオブザイヤー、モーストインプルーブドと各賞総なめにしたのは、明確に記憶している。パイプ優勝してトリプルクラウンも取ったかも(笑)。とにかく鮮烈のデビューイヤーだった。
あれから28年……
日本初のクオリファイヤーから女子二人目が出るのに20年以上。これをどう見るか、その辺を今考えている。現在世界を牛耳るブラジル勢。ファビオ、フラビオの次の世代が出てくるのに20年はかかっていないし、その後CTで7人ぐらいの枠をずっと確保し続けてきた。そして気が付けば2020年、トップ32のうち10人、ハワイを含むアメリカの6人を抜き、オーストラリアの10人と並ぶ2大勢力になった。しかも2014年にガブがタイトルを取ってから、2015スーザ、2016、17はジョンジョンだけど、2018ガブ、2019イタロとブラジル強し傾向で、まさに黄金時代がやってきている。
日本とブラジル、何がどう違うんだろう?