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「私はすでにあるデザインを応用するんだ、もちろん将来だれか新しいアイデアをが生み出したらそれも使うつもりだよ」
カレンはメリックのボードで3度の世界チャンピオンを獲得する。(他のシェイパーのボードも使用した)また同時にメリックはカレンの父親のような存在であり、ときには代理人のような立場でもカレンをサポートした。
1991年にカレンがツアーを引退した後、ケリー・スレーターがメリックのボードに乗って11度の世界タイトルを達成する。
4度の世界チャンピオンになったリサ・アンダーソンやキム・メリッグ、ソフィア・マルコビッチも世界チャンピオンに成っている。またその他にも、ロブ・マチャド、テイラー・ノックス、シェーン・ベッシェン、ティム・カラン、ヤーディン・ニコル、そしてデーン・レイノルズ他がいる。
メリックは敬虔なクリスチャンでもある。最初に彼が直営店を開いたのは1978年。そして90年代初期にコンピュータープログラムのマシンシェイプを取り入れ仕上げは手で行うというスタイルの先駆けとなった。(彼はマシンシェイプでサーフボードを製造していることを積極的に公表した)
2000年中期までに彼とチャンネルアイランドのシェイパーたちは年間で1万本のサーフボードを生産し世界中に供給するようになった。
オーストラリア・サーフィンライフ・マガジンはメリックを世界のトップシェイパーとして1992,1993そして1994年に選出。
サーファー・マガジンは2002年の『サーフィンに大きな影響を与えた25人』の11位にメリックを選んだ。
サーフィン・マガジンは『究極の10人のシェイパー』にメリックを選んだ。
2007年ハンティントンビーチのホールオブフェームにメリックが選ばれる。2006年にフローがメリックのシェーピング・ヒストリーとチームライダーを特集したドキュメンタリーを製作した。
「アル・メリック」ショートインタビュー
最初に作ったサーフボードは覚えていますか?
はい、それはザ・シューと呼びました。すごくノーズが反っているボードでした。
ザ・シューが、私の初めて作ったサーフボードです。
当時のショートボードは大きなターニングポイントだったんですか?
ええそのとおり。当時はロングボードが主流でノーズに歩いたり戻ったり膝を下げてターンしたり、ロングボードのサーフィンでした。ところがショートボードの登場でライダーは基本的に立った位置から動かず、かつ力強くターンするようになったんです。リンコンでもフェースで力強くターンするようになりました。
リンコンの波の話をしてくれますか、どんな特徴がありますか?
リンコンはたいへんコンスタントな波ですね。あのポイントブレイクで私は60年代初期からサーフしていますが、変わっていません。長いラインで、開いたフェイスは角度もありハイパフォーマンスのサーフィンが可能です。最初から最後までコンスタントにブレイクするから何度も同じ技を繰り返すことができます。
あなたはサーフチームをどのように作り上げていったんですか?
そうですね。私は子供たちがアスリートになるように期待したんです。パーティーや海で遊んだりするのは楽しいけれど、それよりもっとアスリートになってもらいたかった。だからチームでビーチブレイクへ行き練習しました。
彼らは南へ行って試合で戦いますから、彼らが活躍するところを見たかったんです。彼らのパフォーマンスや成績が向上するようにいろいろな方法を考えました。ヒートや試合のリズム、タイミング、ジャッジングの分析、つぎの戦いに向けての準備、海の変化を読み、また体力の向上も考えてビーチを走ったり階段を駆け上ったりしました。
『マジックハンド』というシェイパーを賞賛する言葉があるが、アル・メリックがその力を持っているのは疑うべくもない。
流体力学や数値だけでは良いサーフボードを作ることはできない。シェイパーとサーファーのリレーションシップ、アル・メリックとトム・カレン、そしてケリー・スレーター。彼らが築いたデザインの概念はサーフボードデザインに21世紀になった現在も影響を与え続けている。
Reference
https://eos.surf
https://www.thepaintshop.co/spoons/
https://shredsledz.net/2017/04/al-merrick-hand-shape/
(李リョウ)