サーファーのライフスタイルにもフォーカスした映画「フリーライド」は世代を超えて支持されている稀有な作品である。この映画の裏話や監督のプロファイルをまとめてみた。
ビル・デラニーのプロファイル
ビル・デラニーはカリフォルニア・ベンチュラ出身の控えめだが、才能溢れるフィルムメーカーで、1977年の映画『フリーライド』と『サーファーズ:ザムービー』(1990)の監督を務めた。
デラニーは1946年にサンタバーバラで生まれ16歳でサーフィンを始め、3年後にサーフィンの写真を撮り始める。その後に写真大学のブルックス・インスチュートに入学、兵役にも服し、サイクル誌でフリーランスのフォトグラファーを経験後に再びサーフィンの世界へ戻る。
映画『フリーライド』は彼の処女作で、当時の最もホットなサーファーがこの映画に登場した。後に世界チャンピオンとなるショーン・トムソン、ラビット・バーソロミューそしてマーク・リチャーズたちである。彼らは当時オーストラリアと南アフリカから、ハワイへやってきた次世代の若いサーファーで、そのサーフィンは最も進み新しい世代の幕開けを告げていた。それまでのサーフィン映画には主演の一人として必ず登場したジェリー・ロペスは奇しくも出演していない。
この映画が上映されると、そのインパクトは計り知れぬほどの影響力を世界中のサーファーに与えた。フリーライドが撮影されたシーズンは『フリーライド・ウインター』と呼ばれ、その時代のサーファーを『フリーライド世代』呼ぶ言葉は現在でも使われている。
デラニーが7万ドルで製作したこの映画によって彼はクリエイターとしての功績を築いただけでなく、撮影カメラマン、エディター、音楽編集者としての才能を証明することにもなった。
米サーフィン誌はこの映画を「完璧にカットされ磨き抜かれたダイヤモンド」と評し、サーファー誌は「『サーフィンの本質』を伝道する映画」映画フリーライドは1978年と1983年にバージョンがアップデートされて興行収入でも成功した。
1987年にデラニーはガッチャサーフウェアのプロモーションのために「ウォーターボーン」というショートムービーを製作。その翌年ガッチャが資金を提供し映画「サーファーズ:ザムービー」の撮影を開始する。これは「フリーライド」とは異なった製作方法を取った。
50年代から70年代にかけてのビンテージ映像を使用した。制作費は400,000ドル。1991年には改変作「サーファーズ:テイク2」を発表。この時代はサーフィン映画がサーフビデオへと移行した頃でもあり、上記の作品の完成に満足したデラニーはサーフィン界から身を引いた。ビル・デラニーのプロフィールはサーファーズジャーナルが企画しオッパーフィルムがプロデュースした50 Years of Surfing on Filmに紹介されている。2008年には「サーファーズ:ゼンアンドナウ」という30分の短編がDVD化され、いくつかの劇場でも公開されている。