12月25日、ポータルサイトgooを運営するNTTレゾナント株式会社は、gooニュースの東京五輪2020特設コーナー『夢は私を離さない』内で、サーフィン日本代表・村上舜の特集「まだ見ぬ波を求めて」を公開した。
2019年9月に宮崎市木崎浜で開催された「ISA ワールドサーフィンゲームス」で4位入賞し、アジア最高位選手として、2020年東京五輪の出場権を暫定的ながら獲得している村上舜。
本特集では、幼少期から今に至るまでを振り返り、世界を転戦するなかでの苦労やワールドサーフィンゲームスのこと、そして五輪や将来の夢について語っている。
THE SURF NEWSは、この特集制作にあたり取材協力。ここでは特集に載せきれなかったインタビューの一部をお届けする。
≫本編は「まだ見ぬ波を求めて サーフィン村上舜|gooニュース 東京五輪2020 夢は私を離さない」より
ジャパンオープンのファイナルや、ISA世界選手権のケリーとのヒートなど、ゾーンに入ったときの村上舜は誰も手が付けられないように見えるけど、実際どんな状態なの?
試合ではいわゆる“ゾーン”のスイッチは入らない。集中はしてるけど、スーパーサイヤ人の状態にはならないんだ。ジャパンオープンのファイナルは楽しんでた。
スイッチが入るのは、むしろフリーサーフィンでやばい波に挑戦するとき。波がでかくて、テイクオフで逃げられない状況になると、スイッチがはいって、どくどくしてアドレナリンが出る。試合の時に、そのゾーンスイッチを入れられるようにするのもいいアイディアかもしれないけど、基本的には冷静な方がいい気がする。
オリンピック出場権を獲得して、メディアからの注目も集まってる。サーファーにとっては、数年前に突然空から新たな目標が降ってきた感じだと思うけど、正直どんな風に捉えている?
2016年に五輪が決まった時、NSAの記者会見に参加したけど、その時はまだ全く実感がなく、正直なんとも思っていなかった。でも、徐々に「注目されているうちが華」っていう考えも出てきて、ISA世界戦に日本代表として出たりするうちに、意識するようになってきた。
将来的にはフリーサーフィンで生きていきたいから、オリンピックはそのために自分やサーフィンの世界を多くの人に知ってもらう機会だと思ってる。あと、メディアにでると両親やおばあちゃんが凄く喜ぶから、その姿が見たいって気持ちもある。
宮崎のワールドサーフィンゲームスで、表彰式の後に流した涙が印象的だったけど、どんなことを考えていたの?
あれは本当に恥ずかしかった…。応援しにきてくれた両親について聞かれて、結果を出さないと他人はだれも見てくれないけど、家族は活躍できないうちから信じて一緒にいてくれて。家族だから当たり前なのかもしれないけど、両親が一番サポートしてくれている、本物のサポーターなんだって思ったら、こみ上げてくるものがあった。
2020年でコンペを引退する?
試合は“仕事”だと思って取り組んでるのが本音。まだパフォーマンスは下がらないかもしれないけど、今が一番ピークだと思ってる。2020年はこれまで以上に万全の体制で世界を回って最後にするつもり。だけど、再来年もプライムに出られる位置につけたら続けるかもしれないし、その結果CTに行ける道が開けたならもっと続けるかもしれない。とにかく、勝てなくなってやめる、という結果にはしたくない。
試合よりフリーサーフィンに惹かれる理由は?
試合は順位がつくのが好きじゃない。サーフィンの内容が分かっていない人も順位だけで判断してしまうから。 海はこんなに広くて、世界にはこんなにたくさんのサーファーがいるのに、4人だけで順位がついて良いのかと、心の底から思う。
用意された場所でサーフィンをするより、超リスクのある波に挑戦したり、まだ誰も乗ったことのない波を探して旅をする。それで死んでもいいと思ったりもする。そんな生き方の方が、僕の居場所って感じる。
もし今好きなだけ時間とお金が使えたら何をしたい?
いくらお金があっても使うのはサーフィン。危険な波に挑んだり、誰もやったことのない場所を開拓したりするのが、自分の好きなこと。だから、良い機材を揃えて、連れていきたいメンバーと、海外トリップに行きまくりたい。そこで撮った映像を上映会とかで流せたら最高。好きなことで世界に認めてもらう、それが夢です。
2019年、世界選手権での圧倒的な活躍など、国内トップのプロサーファーとしての実力を見せつけた一方で、日本各地で撮影したフィルムを上映会で流すなどフリーサーファーとしての生き方も模索した村上舜。来年は、コンペ生活を最後にする覚悟で世界をフルで回り、五輪にも挑みながら、理想のサーファー像も追い求め続けるだろう。2020年、村上舜の新たな挑戦の1年が始まる。
▼本編は以下で公開中