手付かずの自然と豊富な波がサーファーを惹きつける。Photo:種波

「サーファー達が町を支える」種子島の“サーファーコミュニティと観光事業”(鹿児島県/種子島)

シリーズ「サーファー達が町を支える」全国ローカリズム事情④


サーフポイントという自然豊かなローカルな場所だからこそ抱える、過疎化や津波などの災害対策、観光復興などの様々な課題に対して、地元のサーファー達が地域と連携し、海岸周辺の課題解決に一役買っているケースも少なくない。

しかし地元サーファーの活躍や功績は、これまで大きく取り上げられることはなくあまり認知されていない現状がある。
この企画は、それら地元サーファーの活動を訪れるサーファーにも改めて伝えたい、そんな思いから始まった。

シリーズ第4回は鹿児島県の離島「種子島」。各地のサーファー達の活動を紹介したい。


温暖な気候と豊かな自然に加え、点在するバラエティ豊かなサーフポイント。
近年は “サーフアイランド” のキャッチコピーでも知られる種子島は、西之表市、中種子町、南種子町の一市二町からなり、年間を通して多くのサーファーが訪れる。

しかし一方で、離島である種子島では人口の減少が深刻化しており、他の地方自治体と同様に、地域経済の縮小をどう克服していくかが大きな課題となっている。

2019年時点で種子島の人口はおよそ3万人弱。そのうち半数以上の島民が暮らす西之表市でも、現状を「人口減少時代の最終段階」として警鐘を鳴らす。今、一市二町が連携しながら島の観光事業や移住者支援に力を入れている中、近年はサーフィンの注目度が高まっている。

ローカルサーファーと移住サーファーのコミュニケーション

「今の種子島は移住者なくしては成立しない。昔からのローカルサーファーもいますが、移住の人たちともコミュニケーションが取れています。良いことだと思いますよ。」

そう話してくれたのは、種子島で最も歴史あるサーフショップ「オリジン」のオーナー酒井勝也氏。
ローカルサーファーであり、西之表市の宿「美春荘」も経営する酒井氏のもとには、旅行者も含めた多くのサーファーが訪れるが、“ローカル”という言葉からつい連想してしまう閉鎖的な雰囲気は一切ない。

島の人口は減っているが、今もサーフィンを目的とした移住者は一定数おり、近年はその二世サーファーも育ってきているという。
さらには、西之表市の医療機関が求人に力を入れていることもあり、移住サーファーには医療従事者も多く、サーファー同士はもちろん地域の方たちとも比較的に良い関係が構築されている。

種子島には、豊富な波と自然に惚れ込んだ移住サーファーが多く存在する Photo:サーフショップ ORIGIN

オリンピックを機に加速するサーフィンの認知

また、種子島のサーファーと行政は、兼ねてより連携が取れているという。過去にはNSA(日本サーフィン連盟)の主催大会の開催実績もあり、2006年、2000年に全日本級別選手権、1997年には西日本サーフィン選手権大会も開催。イベントと併せて、行政も交えたシンポジウムも開催し「サーフィンを通して何ができるか」の話し合いも行われていた。

しかし、こうした動きをより加速させたのは、やはりサーフィンがオリピック種目に選ばれたことが大きいという。
記憶に新しいところでは、2005年に種子島で撮影され話題となった、故・大杉漣氏主演のサーフィン映画「ライフ・オン・ザ・ロングボード」の続編、“2nd Wave”が制作されることとなる。

これを一市二町が完全バックアップするものの、サーフシーンの撮影に必要な知識やポイント選びなど、行政では対応できない部分を地元サーファーらが協力。海の中のエキストラや、主演する吉沢悠氏のサーフスタントも地元サーファーが務め、皆で創り上げた作品となった。

島内の撮影は全て地元サーファーらが完全バックアップ。この映画を見て種子島に訪れる方も。 Photo:サーフショップ ORIGIN

サーファー町長が主導し、JPSAプロコンテストを誘致

2017年からは、一市二町に鹿児島県も加わった「サーフアイランド種子島PR協議会」がメインスポンサーとなり、JPSAショートボードのプロコンテストを開催。大会誘致に尽力したのは、中種子町の現町長であり自身もサーファーである田渕川町長。

本大会は、出場選手が獲得する賞金とポイントを通常コンテストの2倍になる「ダブルグレード」を2年連続で採用し話題を集める。
また、同時開催のプロトライアルや本戦メインラウンドにも地元のサーファーが出場し、地域一体で各選手を応援。そしてこの大会に出場するために初めて種子島を訪れたプロサーファーには、種子島の良さを知ってもらう良い機会となった。

さらに2019年には、種子島出身のプロサーファー須田那月プロが地元開催の大会で3位入賞。その勢いのまま自身初のグランドチャンピオンを獲得するなど、種子島のサーフィンがこれまで以上に注目を集める年となる。

中種子町のYouTubeチャンネル「種子島なかたねチャンネル」には、これまでのコンテストの模様や、大会誘致にあたり4年振りにサーフィン復帰を果たす町長のライディングも収められているのでぜひチェックして欲しい。

種子島出身の須田那月プロは地元開催の大会で3位入賞、その後も良い成績を重ねて2019年のグランドチャンピオンを獲得。盛大な祝賀パーティーが行われた。Photo:Surf Villa narai

ローカルサーファー達の新たな取り組み

また、種子島のサーフポイントで、車やサーフボードに「種波」のステッカーを見つけたら、それは“ローカルコミュニケーション・サーフアドバイザー”の活動メンバー。
点在する種子島のサーフポイントにおいて、車の駐車ルールや海へのエントリー方法など、知識のないビジターサーファーが色々とアドバイスを受けることができる。

「サーフポイントでトラブルが発生する場合、その原因は意外と限られていると思います。ポイント毎のローカルルールは、ビジターの方もただ知らないだけで悪気はないケースも多いですから、そういう問題を事前に防げたらと考えました。」

「種波」を主宰する高田健剛氏は南種子出身のサーファー。このステッカーを見つけたら、ぜひ気軽に声をかけて欲しい、とのこと。
現在ステッカーを持つメンバーは約60名ほど。種波の活動は種子島内の各サーフショップも賛同しており、観光協会が発行する刊行物等にも掲載されている。

知識のないビジターも気軽に声を掛けられる仕組み。Photo:種波

行政とサーファーが一体となり、サーフィンが島のイメージを変える

西之表市は、1543年の鉄砲伝来が取り持つ縁でポルトガルの「ヴィラ・ド・ビスポ」と姉妹都市盟約を結んでいるが、サーフィンの五輪種目採用をきっかけに、2019年1月よりポルトガルのホストタウンとして正式登録。オリンピック開催に向け、今後はサーフィンを軸とした文化交流も深めていく。

また、2017年のボディボードワールドチャンピオン “ジョアナ・シェンカー” がヴィラ・ド・ビスポ出身ということもあり、ボディボードの大会開催なども準備していく予定。

種子島で初のプロサーファー山口輝行氏は島内の様々な活動をサポートする。写真はポルトガル親善大使&ジョアナ・シェンカー、 西之表市の八板市長と。Photo:ゼウスハウス

ひと昔前まで、種子島といえば「鉄砲」と「宇宙」だったが、今や第三勢力の「サーフィン」が急速に島のイメージを変え、 地元サーファーの協力を得ながら町も変わり始めている。

今後も様々なエリアで行われている地元サーファーの活動と、行政や地域住民との関わり合いを紹介していきたい。

(THE SURF NEWS編集部)

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