シリーズ「サーフィン新世紀」26
サーフィンのヒストリーは、思ったいじょうにおもしろい。パート2
『ガン』とはビッグウェーブ用のサーフボードのことだが、明確な定義はない。定義は無くとも、ガンは存在する。ビッグウェーブがそこにあるように、ガンは確かに存在し、他のサーフボードを寄せつけないような異彩を放つ。われわれサーファーはそこに精神性さえも抱き、リビングルームに飾ったり、オークションで大枚をはたいて競り落とすこともある。いうなればサーファーにとってガンはちょっとした神だ。そこで、改めてガンをテーマにいろいろ調べてみると面白い事実がいくつか分かった。
ガンと呼ばれる以前のガンは、なんとフィンレスだった
ガンが登場する前、ハワイではフィンレスボードでビッグウェーブがサーフされていたということを知っているだろうか?それはホットカールと呼ばれたサーフボードで、いわばガンと呼ばれる前のガンということになる。
ホットカールは重量のある木製のボードで、テールに向かってV型のボトム形状をしている。1940年代、フィンレスのホットカールでサーフすることはハワイではポピュラーだった。
だがその頃はトム・ブレイクがフィンをすでに開発した後で、カリフォルニアではフィンが常識となりかけていた時代であったのに、ハワイではまだフィンレスのサーフボードでサーフされていたということになる。
その光景を、ジョー・クイッグが1947年にハワイのサウスショアで目撃している。サーファーはラビット・ケカイでそのサーフィンは周囲を圧倒していたと記述している。
「初めてハワイを訪れたときは大いに啓発された。ラビット・ケカイはフィンレスのホットカールに乗ってすばらしいパフォーマンスを発揮していた。カリフォルニアのマリブでは、サーファーは浮力があってフィンの付いたよく動くサーフボードでサーフしていたんだ。でもハワイではウェリー・フロイセスやウッデイ・ブラウンはフィンレスの重いボードで大波にチャージしていた。ウッディのボードは極端に幅が狭く、ラインを決めて走り出したらターンはできなかった。彼らの目指すものは明確だった。だが、ハワイとは違ってメインランドではアイデアはたくさんあったが、目指すべき方向性は無かった」とジョー・クイッグは語っている。つまりホットカールは、ガンと呼ばれる以前のビッグウェーブ用サーフボードであった。
ちなみにジョー・クイッグはサーフボードデザインに多大な影響を与えたサーフボードビルダーで、現在のサーフボードの原型を作った人物といっても過言ではない。
ダウニング・ハワイ
やがてウェリー・フロイセスの次世代、ジョージ・ダウニングが、ホットカールにフィンを装着するというアイデアを考案した。
そのきっかけはジョージが船旅でカリフォルニアへ出かけたときに偶然にもボブ・シモンズと出会ったことがはじまりだった。フィンの有効性や当時新素材だったポリエステルレジンとグラスファイバーを彼から知ったジョージは、ハワイへ戻ってからサーフボードの開発に着手し、取り外し可能なフィン等を開発し、ビッグウェーブサーフィンを新たな次元へと導いた。ちなみにジョージ・ダウニングは、生前エディ・アイカウ・インビテーショナルのコンテストディレクターを務め、レジェンドとして別格の尊敬を集めた。
『ガン』の由来
さて、ガンがガンと呼ばれるようになった由来は、二つある。
一つは1950年代後半、バジー・トレントというビッグウェーバーが、ジョー・クイッグというサーフボードビルダーへ、ビッグウェーブ用のサーフボードを注文したときにガンと呼んだのがそもそもの始まりだという。
そのストーリーはこうだ、バジー・トレントの継父がライフルのコレクションを持っていて、しばしばそれバジーは、そのすばらしさについて周囲の友人に話をしていたという。そしてある日「象狩りに行くのに空気銃は使わない、象を撃つには、特別な銃が必要だ。俺にビッグウェーブを仕止めるための象撃ち銃(エレファントガン)を作ってくれ」そうバジーがクイッグに言い放って、ガンという言葉が定着した。というジョー・クイッグの証言がある。
リッキー・グリッグという別のビッグウェーバーも、当時バジー・トレントがビッグウェーブ用のサーフボードをガンと呼んでいたと証言している。
しかし、ナット・ヤングの著作「History of surfing」には、ガンと呼んだのはレジェンド、パット・カレンだとある。理由はバジー・トレントの話と似ていて、パット自身が作ったサーフボードをエレファントガンと彼が呼び、そのガンという言葉が定着したのだという。
どちらが正しいかはともかく、いずれにせよ大物を仕止めるための特製の銃という意味で、偉大なレジェンドたちにサーフボードが『ガン:銃』と呼ばれるようになった。ちなみにライノチェイサー(サイを追いかける車という意味)というガンの別名もある。
改革者、ディック・ブルーワー
さて、ジョー・クイッグやパット・カレンの後、さまざまなボードビルダーたちがノースショアーでガンをシェープする時代になり、ガンシェーパーの代名詞ともいえるサーフボードビルダーが登場する。
その人の名はディック・ブルーワー。ミネソタ出身で、子供のころに家族と共にカリフォルニアへ移りサーフィンを経験する。1959年に初めてサーフボードをシェープし、同年にハワイへと旅立ち、ボブ・シェパードからシェープの手ほどきを学んだ。1965年にはホビーサーフボードからビッグウェーブ用のディック・ブルーワーモデルを発表し、ジェフ・ハックマン、エディ・アイカウ、バジー・トレント他がそのライダーとなった。
ちなみにディック・ブルーワー自身も卓越したビッグウェーバーで、彼がワイメアをサーフ(バックサイド)した映像は映画エンドレスサマーに登場している。
やがてショートボード革命が起こり、11フィート台であったガンも、ブルーワーが先達となって急激にショート化を進め、ミニガン(別名ポケットロケット)というモデルが登場したときには、最終的に8フィート台まで短くなった。ちなみにブルーワーの卓越した才能は新しいデザインの発明ではなく、既存のアイデアを洗練させていく能力にあると言われている。
ディック・ブルーワー自身のレーベルの立ち上げは1969年。そのチームに在籍したサーファーには、デビッド・ヌヒワ、リノ・アベリラ、ジェリー・ロペス、ジョック・サザーランド、ジェフ・ハックマン、オウル・チャップマン、バリー・カナイアプニ、サム・ホーク、マイケル・ホーという錚々たる名が連ねた。
ショート化と共にガンは、さまざまなタイプの波にも適応し、パイプラインなどでバレルをメイクする目的でも使われるようになったり、商業的に成功するブランドも登場した。時間の経過とともにさらに短くなったガンは、もはやガンとは呼ばれなくなりサーフボードの標準となって世界に普及した。つまりビッグウェーブをサーフするために考えられたデザインが、インスパイアされて今日のサーフボードが在るというわけだ。
(李リョウ)