サーフィンは個人スポーツでありながら、世界で活躍するものにとっては、国を背負って戦っているというプライドがある。優勝者が海から上がるときや表彰台では国旗を腰に巻いたり、肩にかけたりして祝うのが当たり前の儀式になっている。カリッサ・ムーアやジョンジョン・フローレンスなど、ハワイ出身のサーファーの場合は、それはアメリカの国旗ではなく、ハワイの旗なのだ。
プロサーフィンの世界ツアーを運営するWSL(World Surf League)はハワイを独立した存在として捉え、アスリートのジャージーやプロフィールなどでもハワイ州旗が表示されている。
しかし7月25日にサーフィンが五輪でデビューするときはハワイのアスリートもアメリカのユニフォームで登場し、アメリカの国旗を掲げることになる。ハワイのサーファーはこれをどう考えるのだろう?五輪という舞台でハワイの歴史、なかでもハワイのサーフィンの歴史が再び注目されている。
裏切りと葛藤
New York Times紙がこのことを取り上げ、ハワイ出身の五輪アメリカ代表ジョンジョン・フローレンスとカリッサ・ムーアの気持ちを紹介した。
「五輪でアメリカの国旗を掲げることには多少の葛藤がある。しかし、僕は分断させたくはない。何かに反対しているわけではなく、単にハワイを押したいだけ」と語るジョンジョン。
カリッサも「ハワイ先住民の血を引くことはすごく誇りであり、ハワイの海や人々とのつながりを感じる」として、五輪選考大会だった2019年のISA大会ではUSAチームのユニフォームを着ながらハワイの旗を身に着けたことを、「ハワイを裏切っているという不思議な気持ちだった」と振り返った。
ジョンジョンやカリッサなどのプロアスリートは普段政治的な発言を避けてようとしているが、彼らの葛藤の背景にはハワイが歩んできた独特の歴史がある。
ハワイの歴史
ハワイの歴史の始まりは、1500年程前、無人島だったハワイ諸島にマルケサス諸島やタヒチなどからポリネシア人がやってきたことだと考えられている。その後、ハワイ文化は数世紀にわたって繁栄し、フラやサーフィンが生まれた。一方、政治的には土地分割の争いが頻繁に起こっていたが、1810年にカメハメハ一世がハワイ諸島全域を統一してハワイ王国が誕生した。
1820年にはアメリカ東海岸のボストンからキリスト教の宣教師が上陸し、布教活動を展開。この時期にハワイは経済的にも発展したが、それと同時に西洋から入ってきた病気で免疫のない多くの先住民が亡くなった。1887年にはパールハーバーに米軍基地も作られた。
そして、1893年、ハワイの政治・経済・軍事をほぼ支配していたアメリカは、クーデターでリリウオカラニ女王を強制退陣させ、1898年に正式に米国の属領になった。米国50番目の州になったのは1959年とわずか60年程前だ。
ハワイ王国の崩壊から100年後の1993年、クリントン米大統領はハワイ併合に至る過程が不当だったと認め、いわゆる「謝罪法案」に署名した。
しかし、ハワイアン達の心にはわだかまりが残り、現在でも「アメリカが不法にハワイを占領している」と考えている人は少なくない。最近ではハワイアンにとって神聖なマウナケアの山頂に、巨大な望遠鏡を建設する計画に対して反対運動も起きている。
サーフィンは歴史上でも、文化上でも特別な存在
サーフィンの世界では、ハワイは特別な存在感を示している。1810年にハワイ諸島を統一したカメハメハ一世も著名なサーファーだったそうだ。サーフィンは王族が楽しむものでもあり、庶民も当時他では見られないほどの技術で波乗りを楽しんでいたことを探検家や入植者が残した記述からわかる。
19世紀にはサーフィンは「怠慢を招く娯楽」として白人の入植者によって消されそうになってしまったが、逆境に耐え世界に広がった。翻って、サーフィンはハワイの文化全体の復活にも貢献している。ハワイの先住民の血を引くサーファーはもとより、移住した者でもその重要性を誇りに思い、ハワイの文化として世界に発信している。
2019年の終わり、オリンピック代表選考の真っただなかにいた候補の一人、ハワイのセス・モニーツがインタビューで「アメリカ代表でも大きな光栄であるが、できることならばハワイの代表として参加したい。ハワイの他のサーファーと一緒に、オリンピックでハワイの旗を挙げられるよう、もっとプッシュした方がいいのかな。」と語った。
セスの父トニー・モニーツも、「どこ出身?と聞かれたら、その答えは“ハワイ”だ。アメリカの一部であることは誇りで、他の国に属したいわけではないが、過去の出来事に対して恨みと痛みがあるのは現実だ」と付け加えた。
プロサーフィンにおけるハワイの立ち位置
ハワイの扱いについてThe InertiaがWSLに問い合わせたところ、広報担当のデーブ・プローダンは、「1976年の発足以来、ハワイはサーフィンにおいては独立国家として認識されてきたため、WSL大会やランキングでは別の枠を持つ」と説明した。しかし、その理由については言及しなかった。
サーフィンの文化と歴史における第一人者マット・ワルショーは、「1959年に米国の州になる前から地理的な距離だけでなく、文化など様々な面でも米国本土と離れていた。特にサーフィンに関しては独立した存在感が強く、州になってからもそれはさほど変わっていない。」と解説した。
サーフィン界ではハワイは独立した存在として見られているし、そのほかにも多様な民族やアイデンティティを認める動きがある。
ニュージーランド先住民の血を引く元CT選手リカルド・クリスティーは以前ジャージーの肩にマオリの主権を象徴する旗を採用したり、オーストラリアのソリ・ベイリーもアボリジニの旗を掲げたことがある。
日本人の母を持つオーストラリアのコナー・オレアリーも今年から日本とオーストラリア両国の国旗をジャージーに施している。
最近ではタイラー・ライトがLGBTQのプライド・フラッグを纏うことを認める時、WSLのエリック・ローガンCEOは「会議で議論したり、投票したりする必要はなかった。アスリートの意向を尊重し、サポートすることは私たちの使命だ。」と話した。
ISAのスタンスとオリンピック憲章
しかし、ハワイアン達が自分たちの旗を掲げて、オリンピックに参加することはそう簡単ではなさそうだ。
オリンピックサーフィンの実現に大きく貢献したISA(国際サーフィン連盟)でも、世界ジュニア選手権では未だにハワイは独立チームとして扱われているが、五輪選考に関わる世界選手権はオリンピック憲章が定めるNOC(国内オリンピック委員会)の代表として参加しなければいけない。
つまり、今までタヒチやハワイなどの選手も、五輪選考に関わる大会ではIOCが認めるNOC(タヒチの場合はフランス、ハワイの場合は米国)の代表として参加する必要があるのだ。
オリンピックの舞台でハワイが米国と一緒にされていることに対して、ISAのフェルナンド・アギーレ代表は「サーフィン界ではハワイは独立した存在ではあるけれど、一般社会ではアメリカの一部だ」と説明した。
しかし、オリンピック憲章でIOC(国際オリンピック委員会)が認定するNOCは必ずしも独立国家である必要はないようだ。2021年時点では206のNOCがあり、国連加盟の193か国のほか、パレスチナ、コソボ、チャイニーズ台北(台湾)、クック諸島、4つのイギリス領、そしてグアムやプエルトリコなど4つのアメリカ領も個別のNOCとして認められている。
ハワイとアメリカが同じ国として扱われてしまうことの重大な欠点は、オリンピックでは出場選手が1ヶ国男女各2名に限られていることだろう。もしハワイとアメリカが別々の出場枠を認められたなら、オリンピックにはジョンジョンとセス、コロヘとケリーの4名が出場したかもしれないのだ。
オリンピックは平和の祭典でありながら、最終的には国同志の対決になる。「我が国が一番メダルを獲得した」と主張し合う場所なのだ。金メダル筆頭候補であるジョンジョンやカリッサが表彰台に立ったら、きっと世間は「アメリカのメダルが一つ増えた」と思うだろう。しかし、彼らの心のなか、いや、サーファー達の心のなかでは、ハワイのための勝利であることは間違いないだろう。
ケン・ロウズ