――開催まであと2年、オリンピックの日本代表は既に決まっている?
2020年、サーフィンが初めてオリンピック種目になる。これまでにないほど、サーフィンが世間から注目を浴びるきっかけになるだろう。
現時点までに発表されている2020東京オリンピックの出場枠は、男女各20名。更に、国毎に最大男女各2名が上限。
日本代表としてオリンピック出場を果たすためには、2019年・2020年の「ISA世界サーフィン選手権」に出場することが必須条件。そのためには、まずNSA(日本サーフィン連盟)が中心となって選出する「強化指定選手」になり、そこから各種選考をくぐり抜け「日本代表派遣選手」の枠を勝ち取る必要がある。
2018年の日本代表派遣選手は先日発表されたが、2019年以降の選抜方法については、一部方針は示されているものの、確定事項はまだなにもないのが実情だ。
オリンピック開催まで800日を切ったこの現時点で、国内選考過程における未確定要素の多さ故か、強化指定選手であっても「もう日本代表は内定している」「自分には関係ない」と“日本代表になること”に対して100%照準を合わせていない選手もいるという。
そんななかで、「いけるチャンスがあればいきたい」 「世界に挑戦したい」と日本代表の座を虎視眈々と狙う女子プロサーファーがいる。
庵原美穂、36歳。千葉鴨川にある亀田総合病院で看護師として働きながら、プロサーファーとして活躍する。日本代表の強化指定選手に、女子最年長で選ばれた。彼女は2020年をどのように捉え、どのような気持ちで2020年に向けての“今”を過ごしているのだろうか。その素顔と日常、そしてオリンピックにかける意気込みに迫るべく、インタビューをした。
27歳でプロサーファーになり、仕事と両立しながら2年でグランドチャンピオン獲得。
TSN:庵原さんがサーフィンに出会ったきっかけや、これまでの経歴を教えてください。
庵原:学生時代にスノーボードを始めたのですが、同じ横乗り系で1年通してできるサーフィンに憧れ、20歳前後で始めました。知り合いにサーフィンをしている人がいなかったので、始めの頃は一人で海に出かけていました。
21歳の時に、就職のために鴨川に移住して、そこからサーフィンにも本格的に取り組むようになりました。27歳でJPSAプロ資格を取得し、29歳の時に、初めてJPSAグランドチャンピオンを獲得しました。
TSN:就職とサーフィン、同時期に始めたのですね。現在は、どんな生活をされているのですか?庵原さんの日常を教えてください。
庵原:看護師の仕事とサーフィンの比率が同じくらいの生活をしています。夜勤専従という勤務形態で、16時に出勤し、退室できるのが翌朝9時頃です。
帰宅前に波チェックし、波のコンディションと疲労度に合わせて休憩を入れながら、2ラウンド練習して、夜は寝ます。翌日は、午前中に1~2ラウンド練習して、昼休憩して、16時に出勤します。 1日休みの日は、ひたすらサーフィンと夜にトレーニングしていますね。
チャンピオンになっても、かつては強化指定選手には選ばれなかった。
TSN:2017年、初めて強化指定選手に選ばれました。JPSAでグラチャンをとった2011年以降も、それまでは強化指定選手になる機会はなかったのでしょうか?
庵原:そもそも2016年以前の強化指定選手というのは、私の所属するJPSAではなく、NSAが選抜していました。だから、選抜基準などの詳細は今ほど明確ではなく、よく分かりませんでした。
ただ、JPSAで自分よりランクが下の選手も強化指定選手になっている一方で、私は選抜されなかった。後から分かったことですが、「これまでは強化指定選手は年齢でボーダーラインを引いていた」という説明を受けたりもしました。
スキープレーヤの葛西さんテニスの伊達公子さんなど年齢に関係なく活躍している選手がいる中で、若い子にしかチャンスはないのかなって、悔しい気持ちはありましたね。
サーフィンがオリンピック種目になり、よりオープンに選考が行われるようになった。
TSN:初めて強化指定選手に選ばれる直前、2016年12月にサーフィンがオリンピック種目になることが決まりましたが、それにより何か状況が変わったのでしょうか?
庵原:私が初めて強化指定選手に選ばれた2017年は、NSA・JPSA・WSLJの3団体が初めて合同で強化指定選手を選抜した年でした。
これまで、あまり明確ではなかった選考基準については、JPSAのランキングも加味されていて、これまで半ば諦めていた強化指定選手に加えてもらうことができた。
サーフィンがオリンピック種目になったことで、組織体制や選考方法がこれまでよりオープンになってきたのだと思います。年齢は関係なく結果で評価してくれることは、選手の立場としては大変嬉しいことだなと感じました。
まだ日本代表になれる可能性はある。
TSN:オープンに選考が行われるようになってきたことで、やっと掴んだ強化指定。純粋に結果勝負で選ばれるようになってきたということは、今後の実力・結果次第で日本代表としての道も十分狙いにいけると思いますが、具体的にどこを目指しますか?
庵原:強化指定選手になり、今後の選考に残ることはできていますが、ここからどのように日本代表を選抜するのかは、発表されていないことも多いんです。だから選手のなかには「実際、日本代表はもう内定しているんじゃないのか、ここで頑張っても無駄なんではないか」という声もあるんです。
ですが、現時点で明確になっている条件だけを考えると、まだ自分にも、来年度以降の強化指定選手そして日本代表になれる余地は残っていると思っています。
私はいけるチャンスがあればいきたいタイプなので、オリンピックに出られるなら出たいです。でも、現時点での自分のサーフィンレベルがオリンピックにたどり着いていないので、とにかくサーフィンの技量をあげることが今の私の最優先事項です。
今はとにかく、2019年も2020年も、強化指定選手であり続けることを目指すしかない。そのために、今年はJPSAで少しでもランクを上げられるよう、がんばりたいです。WSLは、今年は出られる試合にでてきちっと成績を残し、2019年QSで基盤をつくり、2020年に食い込みたいです。
サーフィンはいつまでも上達できる。年齢を理由に諦める必要はない。
TSN:女子最年長として、強化指定選手に選ばれましたが、若手選手を見て思うことはありますか。今、サーフィンに取り組む時の率直な気持ちを聞かせてください。
庵原:ここ数年で、女子サーフィンは世代交代して若年化が進み、オリンピックや世界に通用する若手選手が育ってきていると感じます。素直に、すごく羨ましいです。小さい時から男子と肩を並べて戦ってるから、いわゆる「女のサーフィン」じゃなくて、みんなかっこいいサーフィンをしている。
私と同期の世代は皆引退していて、現役選手とは年齢差が一回り以上、もしくは、母親世代と同じ年齢ですが、年齢を理由にしたくなくて。若い子の身体能力と吸収力・成長の速さは叶わないところもありますが、歳に関係なく技術はまだ伸ばせるところがあるので、伸びシロがある間は諦めたくないと思っています。
何より上手くなればなるほど、サーフィンがより楽しめるので上手くなりたいんです。
あとは、私が最年長として挑戦し続けることで、サーフィンはいつまでも上達できることだったり、年齢で諦める必要はないということを伝えられたらいいかなと思っています。
▼左から脇田紗良、松田詩野、庵原美穂(Instagramより)
ここ数年でプロサーフィン界は世代交代し、10代前半でプロ資格取得するなど、より一層低年齢化が進んでいる。世間からも徐々にアスリートスポーツとして認知されるようになり、幼少期からの英才教育や、コーチング・システムも当たり前のように行われる時代になった。
そんな時代を迎える前に、庵原は27歳でプロになり、29歳から3年連続でJPSAグランドチャンピオンを獲得。これまで手探りで道を切り開き、結果を残してきた。
徐々に高まるオリンピックムードの中で、世間の注目はなにかと若い世代に集まる。次世代の活躍はもちろん楽しみだが、それと同時に、いくつになっても夢は持っていたいし、年齢に限らずチャンスは平等にあっていいとも思う。
「サーフィンは歳に関係なくいつまでも上達できる」
庵原美穂、36歳。女子最年長選手が目指すオリンピックへの挑戦にも、ぜひ注目したい。
■庵原美穂
東京生まれ 関西育ち 鴨川在住
亀田総合病院 看護師
2003年 21歳で就職のために鴨川移住。看護師として就職と同時にサーフィンを本格的に始める。
2005年~2007年 NSA全日本選手権出場
2007年 NSA全日本選手権2位
2008年 27歳でJPSAプロ資格取得、ルーキーオブザイヤー獲得。
2011年 29歳でJPSAグランドチャンピオン初獲得。その後、2012年、2013年と3年連続でグラチャンの座に。
2017年~2018年 強化指定選手に選出
WQS転戦 過去最高位WQS6,000 17位
(THE SURF NEWS編集部)
▼オリンピック代表選考関連記事
IOCとISAが2020年東京オリンピックの選考基準を発表!
2018年ISA世界選手権(ワールドサーフィンゲームス)の出場枠が変更に
『2018 ISA世界サーフィン選手権』日本代表派遣選手決定!
▼その他の関連記事
JPSA第5戦茨城 大澤伸幸&庵原美穂のベテラン同士が久しぶりの優勝(2018/9/3) |