アート・ブルーワーは、1968年からサーフィン界を中心に活躍した写真家で、米サーファー誌のシニアフォトグラファーを長年務めたことでも知られている。彼はデビュー直後からその才能をいかんなく発揮し、サーフィンのアクション写真だけでなく、大型ストロボを使用したサーファーのポートレート等で多くの作品を残し、広告などの商業写真にも大きな影響を与えた。米サーファー誌元編集長であるマット・ワルショーは「天賦の才能を最も与えられたサーフフォトグラファー」と評している。
アート・ブルーワーは、1951年の2月14日にカリフォルニア州ダナポイントで生まれ、ラグナビーチで幼少期を過ごした。サーフィンを始めたのは1963年で、彼が12才のときだった。写真を撮りだしたのは1967年で、翌年の1968年には米サーファー誌のカバーに写真が選ばれている。サーファー誌に才能を見出されたブルーワーは、月給500ドルという申し出を受けて、いきなりプロフォトグラファーとしてスタートする。
ブルーワーがデビューした頃は、ロン・ストーナーという伝説的なサーフフォトグラファーが一斉を風靡していたが、ストーナーが精神的に脆弱で撮影に支障をきたしていたために、その後釜としてアート・ブルーワーが撮るようになったという経緯がある。しかしブルーワーはそのチャンスに甘んじることなく、水を得た魚のように才能を発揮し1970年から1971年初頭までに発行されたサーファー誌9冊のうちの6冊は、彼の写真がカバーとして選ばれた。1971年にブルーワーはサーフィン誌へと移るが、1975年に再びサーファー誌へ戻り1978年から1981年までサーファー誌のフォトエディターに就任していたこともあった。
ブルーワーは海でサーフィンを撮るだけでなく、パサデナにあるアートセンターカレッジで写真を専攻し、ヨセミテ公園の風景写真で知られている巨匠アンセルアダムスを師事したこともあった。アカデミックな教育を受けたブルーワーだが、撮影技術のほとんどは独学で習得したと本人は述べている。
サーフフォトグラファーといえば、サーフィンの決定的なアクションを撮影するのが仕事であるが、アート・ブルーワーはそれだけでは満足せず、サーファーのポートレートを個性豊かに表現するようになって注目を浴びるようになった。ストーリー性に富んだそれらの作品は、その主題となる人物の人となりを、たった一枚で完璧に表現することに成功している。
前述のロン・ストーナーはサーファーの心に刺さる感性の豊かな作品を残したが、そのほとんどは海や砂浜などの太陽光の下で撮られたものだった。しかしブルーワーは、サーファーが海から離れたときのライフスタイルへと一歩踏み込み、必要ならばサーファーをスタジオにまで連れ込んで、人工照明を駆使して作品に仕上げている。その完成度の高さがサーファー誌のイメージアップにも大きく貢献し、世界中のサーフィン雑誌がそれに追随した。これはアート・ブルーワーが確立した新しいジャンルと言っても間違いではない。
ブルーワー独自の作品作りが、大手出版社の目に止まるには時間はそうかからなかった。彼が撮影を手がけた雑誌には、ローリングストーン、スポーツイラステレイテッド、メンズジャーナル、アウトサイド、エスクワイア(1992年7月号のカバーを撮影)、セブンティーン、プレイボーイ、スピン、US、アメリカンフォトグラファー、コミュニケーションアーツ、ニューヨークタイムズマガジン他がある。
さらに2001年にはサーファーズジャーナルより写真集『マスターズ・オブ・サーフフォトグラフィー;アート・ブルーワー』を、2007年にはタスチェンアメリカより『バンカー・スプレッケルス:サーフィングス・ディバイン・プリンス・オブ・デカダンス』をC.R.ステシックと上梓した。自主制作の動画作品『Misfits』を2002年に発表。さらに枡田琢治監督が2016年に製作した映画『BUNKER77』にも撮影で参加した。
サーフィン関連の出版物で彼がコントリビュートした本には、ストークド、ヒストリーオブサーフカルチャー(1997)、パーフェクトデイ(2001)、ヒストリーオブサーフィン(2010)などがある。2010年にはプエルトリコで行われたニューヨークビジュアルアーツ主催によるアクションサーフフォトグラフィーの講師に招かれている。
さて、アート・ブルーワーの体調が思わしくないという風の便りは、数年前から筆者の耳にも届いていたが、とつぜん今年の10月末に彼の医療費を負担するためのファンドレイザー “Art Brewer Fund”が立ち上がり、心配していた矢先に、そのオーガナイザーのネナ・コートという人物よりアート・ブルーワーが亡くなられたことを伝えるメッセージがアップされた。下記参照
Dear Friends,
Art passed peacefully surrounded by family and close friends 11/9/2022 at UCLA hospital. The Art Brewer family thanks you for your support during this difficult time. Please respect the family’s privacy and refrain from phone calls and visits. We will provide you more information about a memorial in the next few weeks.
友人のみなさんへ
2022年11月9日、アートは、UCLAの病院にて家族や友人に見守られながら静かにこの世を去りました。この窮状を支えてくれたみなさんへ、アート・ブルーワーの家族が感謝を申し上げております。彼らのプライバシーを尊重して電話や訪問はお控えください。追悼式については数週間後に改めてお知らせいたします。
Today by Nena Cote, Organizer
彼が亡くなった病名はまだ明らかにされていないが、あるSNSの記事によればアート氏は肝機能に障害があって、肝臓を移植したが術後の体調が思わしくなかった。と述べている。享年71才。アート・ブルーワーがサーフィン界に与えた影響は計り知れない。このスポーツに抱く情緒的な感性の豊かさは、サーファー誌から発信されたあまたのブルーワー作品によって増幅されたと言っても過言ではない。心より故人のご冥福を祈りたい。
以下よりアート・ブルーワーの撮影風景(ファッション)を見ることができます
(李リョウ)