波情報BCMの会員特典「BCM x F+ 2022年カレンダー」では2001年から2021年までのワールドチャンピオンを紹介。各月の採用写真について解説するF+つのだゆき編集長オリジナルコラム企画を、THE SURF NEWSでは特別に翌月公開します。今回は11月を飾ったジョン・ジョン・フローレンスについて。
※このカレンダーは2022年版となります。来年度(2023年版)カレンダーではありませんのでご注意ください。
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F+(エフプラス)
ケリー・スレーターが初タイトルを手にした年に生まれたジョン・ジョン・フローレンスも、今年ついに30歳になった。なんだろ、ジョンジョンが30歳ってなんか違和感あるな(笑)。
母親がサーフィン大好きでハワイに住み着き、ジョンジョンをサーフバディとして子供のころからあちこちにサーフィンしにノースショアを連れ歩いた。物心ついたときにはすでに母親の行く先々で一緒にサーフィンしていたという。
ジョン・アレクサンダー・フローレンス。ジョンジョンは愛称で、ケネディジュニアの愛称から引いたもの。
サーフシーンがこのキッズに注目したのは、8歳でパイプをサーフしたあたりからだろう。当時のカメラマンたちがみんなレンズを向け、写真は世界のあちこちでリリースされた。そこからずっとジョンジョンは、若くしてワールドタイトルを手にする逸材として注目を浴び続けた。13歳の時にトリプルクラウンのワールドカードとしてハレイワ、サンセット、パイプマスターズにワイルドカードとして登場。天才キッズの名を欲しいままにした。
当時はオニールチームに所属していて、そのハワイのチームマネジャーがパイプのライフガードとしても有名だったピーティ・ジョンソンだった。余談だが、ピーティはその後、弟のジャックが世界的に有名なミュージシャンになってしまったので、ジャック・ジョンソンのお兄さん、みたいな立ち位置になった。ケリーも同じで、ジャックはサーフスターであるケリー・スレーターの友人として認知されていたのに、立場が逆転。ケリーがジャック・ジョンソンの友人という立ち位置になった。どちらも仲間内では笑い話のネタ。有名になるって、すごい。
ちなみにジャックはもともとケリーたちの仲間で、プロ目指してサーフィンしていたけど、大きなケガをして、サーフィンが思うようにできない時期に趣味の一環としてギターの弾き語りなんぞしていて、それが本業になった。ジョンソンハウスでBBQなんかがあると、庭で弾き語りとかしてたっけ。
当時のジョンソンさんの家はパイプの入り口から数軒北のビーチフロントで、離れによくケリーがステイしていたし、あのグループのたまり場にもなっていた。だからケリーとジョンジョンが近い関係になるのは自然の成り行きだったし、ケリーは自分の子供のようにジョンジョンをかわいがった。ただし当時はみんなが、ジョンジョンはプッシュされすぎでつぶれるんじゃないかと心配していたのも事実だ。
2008年からクオリファイを目指してQSをフォロー。すぐにでもクオリファイすると目されていたがけっこう苦労して、2011年にようやくクオリファイする。ガブと同じ年のデビューだ。この年はガブの時にも書いたけど、シーズン半ばで入れ替えがあり、ガブもジョンジョンも前半のQSでクオリファイ、後半はCT選手としてこの年を終わる。
その後数年、サーフィンは悪くないものの、ケガに泣いたり、なかなかコンスタントに勝てず、同じハワイの先輩ロス・ウイリアムスをコーチにしてから、試合に勝つためには何が必要かを学んでいく。
2016年、24歳にしてようやく初タイトルを手にする。19歳でクオリファイしてから5年後のことだ。翌2017年もタイトル連覇。そのままジョンジョンの時代を築いていくはずだったが、たび重なるケガに泣くことになる。ジョンジョンの11年のCTキャリアの中でシーズン中怪我なく過ごせたのは、2011年(34位)、12年(4位)、14年(3位)、16~17年ワールドタイトル連覇の5年だけ。デビューイヤーを除けば怪我がなければすべてトップ4以上という成績で、ジョンジョンのキャリアは本当にケガとの戦いといえる。
今シーズンもケガで後半をスキップ。30歳という年齢を考えると、ここから先はケガとの相談ということになると思う。
才能や世界中の波に対する知識、経験、力量は他の追従を許さないが、肉体のギリギリの機能を使うハイスペックなサーフィンなので、その肉体にかかる負荷も相当なものになるだろう。
それでも、ここまでの段階ですでにジョンジョンは、世界のトップレベルのサーフィンを大きく変えた。まずはパイプ、バックドアからボトムターンをなくした。これはジョンジョンとケリーの合わせ技ともいえるけど、もう今ではみんな超レイトテイクオフからレールセットでバレルインだ。まずは優雅にボトムターンしてふわっとストール、というラインはひと昔前のラインになった。
オープンフェイスのマニューバーでも、今まで誰も当てなかったところに当てる、今まで誰もやらなかった場所でのレイバックなど、それらはCTサーフィンのライン取りを大きく変えた。
数年前にジョンジョンがマーガレットリバーでフルレールで下に引っ張るタテのカーブを見せてから、みんながそのサーフィンを目指した。そういうサーフィンをするためには、過去のサーフィンの常識を変えざるを得ないほどの大きな変化をツアーにもたらしたし、コロナ禍の数年、選手はみんなその辺をアジャストすることに追われた。
サーフィンの技術革新という切り口で考えれば、カレン、ケリー、ジョンジョンと、みんなが追いつけ追い越せの新しいサーフィンをツアーに持ち込んだ立役者といえる。
デーン・レイノルズ、ガブリエル・メディーナ、フィリッペ・トリード、イタロ・フェレイラなんかもそうだろう。ツアーというのはそういう旗振り役の過去の常識を変えるリーダーが出てきて、みんながそれを目標に前に進んでいく。世界のトップでは、サーフィンは生き物のように日々変化している。その原動力は常識にとらわれない自由な発想を持ったリーダーの存在だ。ジョン・ジョン・フローレンスという選手は、間違いなくそのひとりだと思う。