3月31日に発売された「ザ・サーファーズ・ジャーナル」日本版12.6号の読みどころを同誌のコントリビューティング・エディターも務める李リョウが紹介。
BIG GAME
私がサムユンという名を知ったのは、トラックス誌に掲載されたアンドリューキッドマンの記事だった。おもしろいサーファーが登場してきたなと思っていたら、意外にも彼と面識のある友人が私の周囲にけっこういることがわかった。そこには、彼が宮崎に現れて「カレンズをツインフィンでドロップした」なんて話題もあり「このサーファーやはり只者ではないな」と再認識した。すると奇遇にも、SNSを通じて彼からコンタクトがあった。サムは僕の名前をFBで見つけて、コリアンサーファーだと思ったのだ。その流れで彼とチャット友達になった。そうこうしているうちに、井澤編集長から「この記事は李君が訳したらどう?」と推されて、二つ返事でこの翻訳を引き受けることになった。
それならば、もう一歩踏み込んで、この記事の話をサムから直接聞いてみようということになった。(当編集長もOK)チャットでメールを送ると、彼から流暢な日本語で電話が掛かってきた。じつは英文の記事に訂正したいことと、書き足りない話があるという。(欧米の記事には、文章の内容確認を当事者を交えて行わない事がよくある)。そのような流れで、この記事は日本版編集部によって一部再編集された。(全体の10%くらいかな)。もしかしたら英語版を読んで内容が違うと思われる読者がいるかもしれないが、日本版の方が事実に即していると考えていただいて良い。
さて、サーファーがコミュニティーを形成し、一般社会に対して排他的になる理由は『波』にある。波のブレイクは自然現象であり、人間の都合には合わせてくれないので、良いブレイクを求めるとなると、人間の方がそれに合わせて生活しなければならないからだ。したがってサーファーは波のために真っ当な仕事には就けず、大切なデートの約束も守れない、となりがちだ。そういう人種が集まっているサーフコミュニティーはお互いさまのところがあるから、普段から波優先の生活を送っても問題が生じない。サーフコミュニティーのそのような特質を理解しておくと、この記事は面白味が増す。
さてさて、サムユンのこのストーリーを読んで、おもしろいなと感じたのは。(いや「はっとさせられた」という方が正しい)彼が彼の妻と行き当たりばったりの旅を続けた末に、清掃業という仕事を見つけて生活の基盤を築いたことだ。当たり前のことが当たり前でないサーフコミュニティーで生きながらも、彼は人生の着地点(出発点かもしれない)を一般社会に発見し、そのベースを軸にしてさらなる飛躍を遂げようとしている。世界の波を行脚し、多くのサーファーと知遇をすでに彼は得ているのだから、その可能性は未知数と断言してもいいだろう。こんな男ちょっといない。
ちなみに、ユンファミリーは現在日本に滞在中だ。
サーフィン文学の不条理な真理
まずはいつも翻訳ご苦労様と言いたい。今回はオーストラリアのジャーナリスト、ティムベイカー氏。ぶっちゃけ、「サーフィンを言葉で表現するのは不可能」というのが今回のテーマ。そうなんだよ〜激しく同意!ダックダイブの気持ちよさや、バレルの感覚なんて言葉で表現するのは無理だよね~。サーフィンを題材にした小説が生まれにくいのはそこだ。よく考えてみれば作家でリアルサーファーなんて世界的にもごく少数派だし、サーフィンしない人がサーフィンを書くとバレバレだからね。過去にもそんな人がいたね〜、支持した読者もテケテケだったなあ。まあとにかく活字が好きな方には読み応えがあるコラムです。
モアナジョーンズインタビュー
パイプラインチャンピオンとなったシンデレラガール。宝くじに当たったような優勝かと思いきや、モアナちゃんはパイプの常連で、練習もしっかり積み、しかもデレクホーの薫陶を受けていたというから勝ってもまちがいではありませんでした。美人だしハワイ大学も卒業ということで、どこからでもかかってきなさいという才色兼備。この人もそのうち大化けしそうだ。
琥珀色に染まる
70年代のカリフォルニアというと、ダッツンのピックアップやVWのバハ仕様、ケティンのトランクス、オニールのインディアンサマーそしてホットリップスのマイクパーパスを思い出す。思い出すって言ってもカリフォルニアにはまだ行ったことなかったけどね、苦笑。でもマイクさんのことはテッド阿出川さんが日本に招いて、サーフィンワールド誌で記事になったから知っていた。リンボイヤーも一緒だったね。ラウンドハウスカットバックの写真でエグいのが載っていたな。そしてあのテンガロンハットみたいな帽子もかぶっていた。たいぶご年齢を重ねられましたが、お元気…のようです…。破天荒な昔話と現在の彼。ちょっと寂しさを感じてしまう記事ですが、私自身も年をとったということだな、ねえマイクさん。
ディストピアの序章
これは、サーフィンの近代史のなかで、もっともいい加減だったワールドコンテストの話。いい加減だったということは、一番サーファーっぽかったともいえるので笑い話は尽きません。運営費が足らなくて、たしか主催者がコンテスト開催中に雲隠れしたんじゃあなかったかな…?象徴的だったのがデビッドヌヒワのツインフィンが、盗まれて折られてピアに吊るされた事件ですね。ネタバレするとスティーブリズが開発したツインフィン(サンディエゴでしか乗られていなかった)を、たしかダイノサーフボードがヌヒワに乗らせてサーファー誌で「新しいサーフィンの革命!」って宣伝して「パクったくせにふざけんな」って怒ったサーファーがやったらしい。(犯人もわかっているけど誰も訴えようとはしない。当然だ)ヌヒワが勝てなかった理由もそこにあるようなないような…。
(李リョウ)
THE SURFER’S JOURNAL(ザ・サーファーズ・ジャーナル)日本版12.6号
●世界でも選りすぐりのフォトグラファーによって捉えられた、サーフィンの美しく迫力に満ちた瞬間。
●新旧様々なライターたちに綴られる、本質的でバラエティに富んだストーリー。
最も信頼されるサーフィン誌として世界中のサーファーたちから愛され、書店では買うことができないライフスタイル・マガジン。
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