五十嵐カノアの動画も数多く配信しているRed BullのYouTubeチャンネルの中で世界中のサーフコミュニティに迫るシリーズ「NO CONTEST」の新エピソードが公開!
JOBことジェイミー・オブライエン、ローカルのカイ・サラスなどがオアフ島サウスショアの豊かなサーフィンの歴史を紹介。
ワイキキの穏やかなロガー向けの波からアラモアナボウルズのバレルまでバラエティ豊かなスポットが存在するこの土地はサーフィンの発祥地でもある。
パイプラインで有名なJOBだが、若い頃はデューク・カハナモク像の近くにあるクイーンズでの大会の常連だったと話す。
ノースショアのシーズンは冬だけなので、夏になればホノルルに来てロングボードでノーズライドする日もあるのだ。
サウスショアのシーズンは5月から8月。
南、南西、西ウネリが入り、安定したトレードウィンドが吹く。
伝承されるビーチ・ボーイズの歴史
ワイキキと言えばビーチボーイズ。
カイ・サラスは2代目であり、熟練のボードビルダー。
そして、2023年には42歳で念願のワールドタイトルを獲得とワイキキを代表するロガーである。
ワイキキのビーチボーイズの文化は100年もの歴史がある。
彼らは地元の音楽や踊り、文化を観光客に紹介したり、サーフィンやヨット、カヌー、水泳などを教え、ワイキキの案内役を務めた。
デューク・カハナモク、ラビット・ケカイ、クライド・アイカウなどのレジェンドも含まれ、その子孫のカイなどが先代の精神を受け繋いでいる。
「父はビーチボーイで、サーフィンも彼に学んだよ。観光客にサーフィンやカヌーを教えていた。それがワイキキのライフスタイルの一部なんだ。ビーチボーイの伝統を続けることで、デュークの足跡を辿っているような感じさ」
カイ・サラス
日本での一般的なワイキキの波のイメージはスーパーメローだが、日本の平均的な波に比べると圧倒的にクオリティは高い。
カイ・サラスの他、カニエラ・スチュワート、ケリア・モニーツ、ホノルア・ブロムフィルド、ケリス・カレオパア、ソフィア・コーヘーン、キアヌ・カヌロと多くのLTサーファーを輩出している。
2010年からワイキキでサーフィンスクールを始めたカイは若いサーファーのメンターでもある。
多くのロガーが彼の削るサーフボードに乗り、一緒に仕事をして絆を深めていった。
ケリア・モニーツの新しい舞台
ビッグウェイブサーファーのトニー・モニーツ、ビッグママのタミーが柱となったモニーツ一家はハワイを代表するサーフィン家族である。
男兄弟、特にセス・モニーツは長年CTをフォローしており、長女のケリア・モニーツはロングボードの2xワールドチャンピオンで、長年ROXYの看板ライダーを務めていた。
ツアーを離れて母親となった今でもカリスマ性があるケリアは新たな仕事としてホノルアに「Honolulu Pawn」という名のショップをオープンした。
今まで多くのブランドと仕事をしてきた彼女の国際的な人脈を反映したこのブランドは、コミュニティ、アート、スタイルとケリア自身を表現している。
その他、チャイナタウンのタトゥーアーティスト、パティボーイ。
タウン&カントリーのデニス・パン、ギャビン・ハセガワ。創業者のライアン・スギハラ、クレイグ・スギハラ。
アラモアナボウルズで開催されるイベントのスポンサーを務める「Avva」の創設者、ケコア・カジメロなどが登場する。
中でもタウン&カントリーの訪問は興味深い。
ブランドを象徴する陰と陽のロゴはインパクトがあり、デーン・ケアロハ、トニー・モニーツ、サニー・ガルシア、クリスチャン&ネイト・フレッチャー、マット・アーチボルド、マーヴィン・フォスター、ジョニー・ボーイ・ゴメス、アンディ&ブルース・アイアンズ、ジェイミー・オブライエンとスター選手が揃っていたこともあり、サーフィン雑誌で多くの表紙を飾っていた。
1988年に任天堂に協力したサーフィンのテレビゲームは爆発的なヒットとなり、ライダーの投資に回したという今だからこそ話せるエピソードも出ていた。
最後はアラモアナボウルズでのスペシャルセッションとワイキキの美しい夕日でこの動画は幕を閉じる。
なお、「NO CONTEST」では日本編も公開予定なので、お楽しみに!
(空海)