(パイプラインとバックドア) Photo by snowy

「パイプラインとバックドアのお話」 – F+

F+(エフプラス)

以前にもどこかで書いたかもしれないけど、ハワイ、ノースショアのパイプラインというピークの波は、結局バックドアなんだな、と思う。というより、過去サーファーたちが手を出しあぐねていたダンパーのバックドアが主役になる時代がやってきたんだな、と思う。
ひとつのピークでレギュラー側をバックドア、グーフィー側をパイプラインと呼ぶわけだけど、これもあまり例を見ない特有のものだ。
あのピークが発見されたときには、まだサーファーたちは今でいうロングボードのような板に乗っていたし、いかにしてワイプアウトしないで板に乗ってるか、みたいな話で、バレルに入るのも波任せのようなところがあり、テイクオフ、構える、波が巻けば入れるし、巻かなければ入れない、という時代のあと、ストールする、つまり波に合わせてスピードをコントロールしてバレルインという時代がくる。そしてそのあと、トム・キャロルがリップして板を止めてバレル、という離れ業を見せて、初めてパイプの波がサーファーの意思によって本格的にコントロールされる時代の幕開けになった。

海に向かって右方向からの北寄りのうねりはバックドア、左方向からの西寄りのうねりはパイプなんだけど、ワンピークでスプレッドするときもあり、バックドアとパイプが混ざって来るときもあり、いいときはどちらもいい。でも、10点満点で採点するとなると、どうしてもバックドアのほうがポイントが高くなる波だ。掘れ方やショルダーの張り方や波の長さなど、どれをとってもパイプより点になる波なわけで、それは昔のサーファーたちがてこずったダンパーなわけだが、技術やボードの進化によって、そのダンパーを乗りこなす時代がやってきた。
昔はパイプラインマスターズはパイプラインだから、バックドアは採点しない、っていう時代もあったし、トム・カレンはバックハンドでパイプ攻めないですぐにフロントのバックドアに行っちゃう、みたいに言われた時代もあったけど、今バックドアは堂々とパイプよりヘビーな波として君臨している。

(1995年のパイプマスターズ・セミファイナリスト。左からオッキー、ケリー、ロブ、シェーン) Photo by snowy

1995年のロブ・マチャド対ケリー・スレーターのシーソーゲームはいまだに語り草ではあるけれど、あのベスト3で29.70対27.34のポイント差は、パイプとバックドアの波質の差だ。当時はケリー全盛のころだったからアンチも結構いたりして、ケリーの点が高いとか言われたりもしたけど、それは違うと思う。
あの時ロブは徹底してパイプ、ケリーはバックドア中心の攻めだった。同じバレルメイクでもバックドアのほうが点が高く、パイプはそれよりちょっと低いという感じだった。ロブが今のレフトハンダーのようにバックハンドでバックドアを攻めていたら、結果は変わったかもしれない。当時ロブは、僕はあのバックドアをバックハンドで攻めるなんてとてもできない、って言ってたけど。

あのピークのリーフは特に北寄りのスウェルだとパイプのほうがなで肩になり、バックドアのほうはいかり肩になる形をしていて、昔の技術ならなで肩のパイプしか手におえなかったものが、近年はいかり肩も抜けて行けるスピードをサーファーが得た。
そうなるとあのピークはパイプラインというよりバックドアがメインになるのだ。
まぁ、発見者たちが当時カメハメハハイウェイで行われていた道路工事の土管を見てつけたパイプラインという名前なわけだけど、おそらく世界一有名なサーフポイント名だろうし、素晴らしい名前だと思う。よって、この先もあのピークをパイプと呼ぶことには賛成ではあるけど、その実態はバックドアなんだろうな、というしょうもないことをハワイで考えた。

技術とサーフボードの進化によって、不可能と思われる波がどんどん征服されてきている。飛行機やボートの利用で世界中の波が開拓されているけど、この先は既存の、いままでダンパーと思われていた波が、新しいハードコアスポットとして再開発されていくのかもしれない。
その波はずっとそこにあって、みんなが見てたけど、誰もサーフしなかった、みたいな波……あれ、日本にもありましたよね、そういう波。

F+編集長つのだゆき

blank

「国内外サーフィン界の最新トレンド・ニュースを読み解く」をコンセプトに、最新サーフィンニュースをお届けします。

※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等を禁じます。