F+(エフプラス)
CT第4戦のエルサルバドルは最初のスウェルでできるだけ消化してひと段落、次のスウェル待ちという所か。まぁ、どこでも絵に描いたように2スウェルで終了なわけだけど、2週間に2スウェルを当てられる場所、日本にないですかね。そんなに難しいことには思えないかもしれないけど、実際に2週間で2スウェルってけっこう難しいかなと私は思うんですよ。例えば台風シーズンとかだとしても、日本の場合台風って荒天をともなっちゃうケースがほとんどで、なかなか試合っていう風には結びつかないと思うし。
ここなら、という場所があればツアーは日本に戻りたいことは確かなんですけど、まぁ、波が解決しても金銭面が解決しないのかな、とも思う。90年代、日本で2試合行われていたのなんて、奇跡だな。

さて、どうですか、みなさん、あの赤本的なジャッジクライテリアの詳細を読んでから試合観戦すると、ちょっと今までと視界が違わないですか?
エルサルバドルに関しては先のポルトガルのバレル勝負のディテールほど詳細に踏み込んではいなかったけど、まぁ、それでもそうかぁ、そこかぁ、みたいなところはあったと思うし、正しく理解した人から見ればツッコミどころも今までと違うのかな、とも思う。
もうひとつ深くいけば、選手の目指しているところとかももっと理解できるのかな、とも思う。
個人的にはあれで目からウロコってわけではないので、あぁ、この人で評価されてるのはここなんだろうな、みたいな、ある意味今まで通りではあるんだけど、それは私の経験則から来るもので、30年間で培ってきた知識と経験の積み重ねなわけで、まぁ、そうなるとあれはまさに赤本ですね。
赤本で30年のキャリアが簡単に埋まっちゃうとも思えないけど、埋め方がわかればいいわけで、知識と経験というのは全く違う景色を見せてくれるものなんだな、と感じてほしいなぁ、と思います。

ようやくシェーン・ヘリング。
オーストラリアのディーワイ出身、ケリーと同時期にツアーデビュー。ニュースクールの一端を担った期待の若手だった。92年、CTデビュー戦のノースナラビーンで行われたコーククラシックでケリーとのファイナルを征し、優勝をしている。当時5人のシェーンとか言って話題になった5人のうちのひとり。
当時は世界的な新旧世代交代の時代で、それと共にツアーも現在のCTとCS、QSのように分化したり、大きな変革の波が様々な物語を織りなしていた。
ケリーに勝ったことで、当時から最強だったケリーを倒せる実力の持ち主としてヘリングは大いに騒がれた。
このESPNの動画を見ると、ここから30年でどれだけサーフィンが進化してきたかがよくわかると思うし、この30年の進化を日本が埋められていないこともよくわかるかもしれない。ジャッジングの違いも顕著だ。技数と距離重視の時代。今のジャッジングならケリー優勝か。
ちなみに5人のシェーンは、ヘリング、パウエル、ドリアン、ベッシェン、ホラン。みんなシェーン。まぁ、ホランだけShane ではなく Cheyne だけど、その辺はご愛嬌。私の記憶が正しければこれ、確かホランが言い出しっぺで、アメリカだかオーストラリアだかのサーフィン専門誌で5人集めて集合写真とか撮って話題になっていた。ホランがみんなに声かけたんじゃなかったかな。まぁ、当時のシェーン・ホランなんでレジェンド中のレジェンド、声がかかれば誰も逆らえなかったと思うし(笑)。
で、その優勝のあと、ほんの数年ツアーにいて、95年には消えてしまう。その後の人生はドラッグ中毒との戦いだったと聞く。自宅で倒れたということで、53歳、まだまだ早すぎる死だった。