F+(エフプラス)
●質問、先週の続き
②サーフィンのスポーツとしての競技力を追求すると、没個性に向かってしまうのか?
③サーフィンがメジャースポーツになるためには、採点方法が変わる必要があるのか?
このふたつは共通するところが多いので、一緒に回答します
スポーツとしてというか、コンペということになると思うけど、そうなると、最も優先する問題は勝敗。昔はスタイルを出すことで尊敬されたり、優勝しなくていいからその試合で最も印象に残った選手になりたい、とか言っていたものだが、今は経過より結果、美しいサーフィンよりコンマ1でもポイントの高いサーフィンを目指すわけで、それは順位に金銭がついてくるようになったからなのだろう。
だからプールのようにある程度条件が同じであれば、みんな同じライン、同じサーフィンになっていくのは自然なことで、それが没個性というならその通りだし、ジャッジの理想にかなったサーフィンが最もハイレベルということになる。そのジャッジの理想がみんなの理想と同じとは限らないし、サーフィンをどの方向に引っ張っていくかはジャッジに決定権がある。クローズセクションでエアー1発8点、ということになれば、みんな当てられるセクションを当てずに走ってクローズセクションで飛ぶし、走らずに当てたほうがポイントが高ければ、みんなどんどん当てていく。どちらが技術が上か下かは問題ではない。得られるポイントの高低の問題だ。
20世紀のサーファーたちには強烈な個性があったと思うけど、それはサーフィンがスポーツというよりはカルチャーだった時代で、21世紀になるとそれらの個性は淘汰されていき、同時にサーファーはアスリートになった。これはある意味現在のジャッジ基準に照らし合わせれば、進化といえる。なぜなら、ジャッジ基準のなかに、スタイル、という項目がないからだ。現状、どんなにカッコ悪いスタイルでも、やることやってればいい、ということになっている。なぜスタイルが採点基準に入らないかといえば、ヒート中の採点ではそこまで見ていられないからだ。
ジャッジというのはもう過去20年以上にわたって議論されてきていて、ベスト3からベスト2になったころはドリームツアーの走りで、大まかなラインはペリー・ハチェットというヘッドジャッジとケリー・スレーターの間で決められてきたといえる。90年代から2000年代前半にかけてだろうか。
ベスト3からベスト2になったのは、コンスタントサーファーがつまらない、という結果。6点3本そろえられるけどエクセレントが出せないサーファーが、8点、9点あるのにあと1本がそろわない、というサーファーに勝つのはおかしい、という発想。究極はベスト1なわけだけど、そうなると運の要素が大きくなりすぎるので、ベスト2。
昔はフリーサーフィンと試合でのサーフィンに大きな差があって、攻めるのがフリーサーフィン、押さえてまとめるのが試合でのサーフィンで、それをどうしたら試合でフリーサーフィンのように攻めるように仕向けられるのかが、ジャッジ改革のメインテーマだった。
そして当時から、どうやったら誰にでもわかりやすいジャッジングができるか、というのも様々に議論されてきた。たとえばアイススケートや体操のように技に基礎点をつけて、できばえ点を加味する。芸術点とかスタイル点とかも加える……こういったことはできないわけではないけど、現状のヒート中にライディングが終わればすぐにポイントが出て、逆転劇のある試合スタイルでは不可能だ。今でさえビデオ確認などでポイントがなかなか出ないのは非常にストレスなのに、演技構成点、できばえ点などを採点、集計している時間なんて、ヒート中、ましてやライディングの合間にはない。とにかく、短時間での採点の煩雑さを避けるための10点満点、シンプルなクライテリア、より直感的な採点、だからといって雑にならないところの損益分岐点が今の形と思われる。
決められた時間内に何度でも演技ができて、そしてその経過が逐一即座にわかり、相手と比較出来て、逆転可能な演技競技なんてほかにないかな、と思う。サーフィンというのはスポーツとして見るとつくづく特殊なのだ。
ジャッジングを変えるには、試合のシステムも変えなければならない、というのが現実で、それはどうなのかなぁ、と。
まぁ、昔は手作業での集計だったので、結果は次のヒートに入ってから、みたいなこともあり、そこに戻るのであればジャッジを複雑化させてわかりやすさを求めることもできるかもしれないけど、そのためにライブの逆転劇を捨てるのは違うんだろうな、と思う。
結局サーフィンはわかりにくいものであって、それをコツコツ、誰にでもわかっていただけるように説明していくしかないんだろうと思っている。その説明が難しいわけだけど(笑)。