ジョン・ジョン・フローレンス 2年連続ワールドタイトル獲得の軌跡

昨年、2004年のアンディ・アイアンズ以来のワールドタイトルをハワイに持ち帰ったジョン・ジョン・フローレンスが激戦の末にタイトルの防衛に成功した。

ケリー曰く、連続でのタイトル獲得は難しい。
メディアへの対応や環境の変化で翌年まで集中力を維持するのが難しいなどの理由を上げている。

ISF、ASP時代からWSLまでの50年以上の歴史で連続でタイトルを獲得したのはマーク・リチャーズ、トム・キャロル、トム・カレン、ケリー・スレーター、アンディ・アイアンズの僅か5名しかいなく、ミック・ファニングでさえ3度のタイトルは全て離れているのだ。

それだけ2年連続は同じタイトルでも重みが違う。

この偉業達成には大きなサポートがあり、まず2016年は同じCT選手でありながらも怪我で欠場を余儀なくされていたビード・ダービッジがコーチを勤め、初のワールドタイトル獲得へ導く。そして今年2017年のコーチは、元CT選手でWSLのコメンテーターも務めていたロス・ウィリアムスが新たにコンビを組むこととなり、ジョン・ジョンをコントロール。実力がありながらもアップダウンが激しかった課題を克服し、2年連続のタイトルを手に入れることとなった。

2年連続でワールドタイトルを獲得し、CTの頂点に立ったジョン・ジョン・フローレンス。2017年の軌跡をたどってみる。

今シーズン唯一の優勝はマーガレットリバー
PHOTO:© WSL/Dunbar

■オーストラリアレッグ

開幕戦の主役は選手生命を脅かすようなワイプアウトからカムバックを果たしたオーウェン・ライト。
ジョン・ジョンは3位とまずまずのスタートを切った。
次のマーガレットリバーはグッドコンディションに恵まれ、R3以降は19ポイント台が4ヒートと驚異的な数字を重ねて圧勝。
ツアー通算5勝目を決めてオーウェンからイエロージャージを奪った。
オーストラリアレッグの最終イベント、ベルズではジョーディ・スミスが南アフリカ人として初のベルズ制覇を果たした裏でシーズン2度目の3位。
オーストラリアレッグでは誰よりも良い結果を残し、早くも2年連続ワールドタイトル獲得への周囲の期待も高まった。

勝敗に関わらずファンサービスを忘れない。ブラジルのファンは熱狂的だ
PHOTO:© WSL/Saguibo

不安定なコンディションに悩まされたフィジーでは2戦連続の13位
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■ブラジル・フィジーでの失速

オーストラリアレッグでのスタートダッシュに急ブレーキがかかった第4戦ブラジル。
ツアーでは最も注意しなければいけないワイルドカード(ヤゴ・ドラ)にR3で敗退。
この悪い流れを次の第5戦フィジーでも引きずり、R3でルーキーのレオナルド・フィオラヴァンティにあえなく敗退。
フィジーで優勝したマット・ウィルキンソンにイエロージャージを奪われる。
13位が2つ。のちにこの結果が11戦中2つの捨て試合となる。

「J-bay」ではシグネチャームーブのレイバック・スナップが炸裂!
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タヒチでは2度目の「A.I Award」を受賞
PHOTO:© WSL/Cestari

■シーズン中盤、復活。そして、ライバルの追い上げ

今年の第6戦南アフリカ「J-bay」は素晴らしかった。
ジョーディ・スミスが「J-bay」史上初、CTでは10度目のパーフェクトヒート、合計8つの10ポイントがスコアされ、初のツインフィンでのスペシャルヒートという粋な計らいもあった。
フィリッペ・トレドの一本の波で2つのアーリーウープや、マニューバーとのコンビネーション、文句なしの優勝を決めた影でジョン・ジョンは5位とブラジル、フィジーでの結果を埋めてきた。
同時にガブリエル、ジョーディ、ジュリアンも好成績を残し、タイトルレースが本格化。
第7戦のタヒチでは遂にジョーディが初のイエロージャージを手に入れた。
トラッセルズとジョン・ジョンの相性は2014年の2位をピークに悪くなり、2015年は最下位、2016年の初タイトルの年も13位に終わっている。
しかし、今年はファーストラウンドから圧倒的なライディングで懸念を払拭。3位に入り、ファイナルまで進んだジョーディとの差を広げずにヨーロッパレッグに繋いだ。

フランス戦はグッドコンディション、そして凄い数の観客が集まった
PHOTO:© WSL/Masurel

ポルトガル戦は5位
PHOTO:© WSL/Masurel

■ヨーロッパレッグからハワイへ
フランス、ポルトガルと続くヨーロッパレッグ。
今年はここで大きく流れが変わった。
3位、5位と結果を重ねてトップに返り咲いた一方、ガブリエル・メディナが2連勝を決め、8位から一気に2位に浮上。
変わってジョーディが13位を2つ重ねて3位に転落したのだ。

2014年にガブリエルがブラジリアンとして初のワールドタイトルを獲得してから二人のライバル関係が明確化。
2016年にはジョン・ジョンがタイトルを獲ってそれは揺るぎない関係、新しい時代の幕開けとなった。

ハワイ入り、ライバルのガブリエルと並ぶジョン・ジョン
PHOTO:© WSL/Poullenot

常に多くの視線にさらされる中、ヒート前には集中力を高める それはスターの宿命
PHOTO:© WSL/Heff

迎えた最終戦のハワイ。
ジョン・ジョン、ガブリエルの他にジョーディ、ジュリアンもタイトルの可能性が残っていたが、それは数字上のもので、事実上は二人の争いだった。
かつてのケリー、アンディのような緊迫した雰囲気は無かったが、同世代の分かりやすいライバル関係はこのスポーツにとって久々に面白いクライマックスとなった。

ガブリエルがQFで敗退し、2年連続のタイトルが決まった瞬間、ジョン・ジョンはビーチフロントの自宅で沢山の応援団と盛大に喜びを分かち合った。
そこにはシングルマザーで子供3人を育てた頼もしい母や、彼を子供の頃から見続けていたケリー、兄のような存在のJOBことジェイミー・オブライエンの姿も。
3歳でサーフィンを始め、7歳でコンテスト初優勝、8歳でパイプラインにパドルアウト。あの子供だったジョン・ジョンが今や誇りを持ってノースショアの代表と言えるサーファーになった。

そして、インタビューの後、次のヒートに向かうためにジャージを着てビーチに向かうとそこにはガブリエルが待ち受けていた。
固い握手からのハグ、軽く言葉を交わしただけだが、その裏にはライバル同士にしか分からない意思疎通があったのだろう。

来年以降も繰り返されるだろうジョン・ジョンとガブリエルの争い。
サーフィンと共に人間ドラマにも注目したい。

2年連続タイトル獲得直後、自宅の庭で記念撮影 PHOTO:© WSL/Sherman

WSL公式サイト

COVER PHOTO:© WSL/Heff

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