2020年7月24日。東京オリンピックの開幕式が予定されていた日だ。そして、25日にはサーフィン競技がウェイティング期間に入り、スケジュール通りなら今日29日は決勝。史上初の五輪サーフィン金メダリストが誕生している日だった。
まだ世界中で猛威をふるい続ける新型コロナウイルスの影響で、近代五輪124年の歴史で初めてとなる延期が余儀なくされ、現在は2021年7月23日の開幕に向けて準備が進められている。
今から4年前、2016年8月に五輪新競技としてサーフィンが選ばれ、世間を驚かせた。同年12月には千葉県一宮町の釣ヶ崎海岸(通称:志田下)が競技会場に決定。以来、同町は前例のない五輪のサーフィン会場として、町をあげ数年越しで準備を進めてきた。
一世一代の晴れの舞台を今まさに迎えているはずだった日本屈指のサーフタウン、一宮町。その現在を追った。
釣ヶ崎海岸の現状
3月24日に五輪の延期が発表され、大会組織委員会は全ての競技会場の工事を休止させた。なかには一度撤去が必要な競技会場もあったが、志田下の場合は基本的に設置されたままとなっている。
ハード部分の7~8割は出来上っているというが、建物は大会終了後に撤去をする想定で仮設プレハブで作られており、今後の台風や塩害など耐久性を心配する声もある。
組織委は、整備再開スケジュールの大枠として、2021年明けから仮設施設整備におけるプレハブ・テント・放送用照明等のオーバーレイ工事を再開し、4月頃から本格的な工事を開始するとしている。現在は町役場の担当者等が日々見回りをしている。
予定では、4月1日から釣ヶ崎海岸広場が駐車不可となり、7月1日~8月3日は志田下でのサーフィンもできないスケジュールだった。その規制も延期。
ちなみに波の方はかなりスモールで、競技日初日を予定していた7月26日はモモ~コシ程度の物足りない状態。その後も大規模な国際大会であればウェイティングも予想されるコンディションが続いている。
「初の金メダル確定には、それ相応のコンディションを」とは誰しもが期待しているが、限られた競技日程の中で、運営側も難しい判断を求められたであろう状態だ。
窮地に立たされた春「助けて、しか言えなかった」
今年の春にさかのぼると、4月7日に緊急事態宣言が発令され、一宮町は全国の中でも宮崎に次ぐ早さで、発令の初期段階からサーフィン目的での来訪自粛を呼びかけた。
五輪会場の地として、町長や県知事の呼びかけはマスコミでも多く取り上げられ、その後も駐車場閉鎖や町道の封鎖などGWに向けた対策が講じられることとなる。
サーフショップの多くは休業。町内の飲食店や宿泊施設も、サーファーや観光客に頼っている店舗も多く、来訪を受け入れられない4~5月は大きな打撃を受けた。先行きが見えない状況のなか、町役場には「何とかしてくれ」と助けを求める声も日に日に増えていった。
自身もサーフィンが趣味である一宮町秘書広報課の生田修大氏は、「今年は五輪に向けて期待が高まっていた時期だからこそ、町の人たちにとっては経済的にも精神的にもダメージが大きかった」と当時の状況を振り返る。
「“来ないでください”というのはとても心苦しかった」
五輪で知名度が上がり、人が集まる可能性が高まっていたからこそ、一宮で感染を広めるわけにはいかない。地元住民への配慮だけでなく、町の将来も見据えての苦渋の決断だったという。
そんな状況のなか、焦りを募らせた飲食店は、町内の店舗で協力してクラウドファンディングを立ち上げ、今夏以降に使える食事券を発行する代わりに寄付を募った。
本プロジェクトは、後に目標額の300万円を大幅に上回る結果となるが、実行委員会担当者は「支援といってもお店に来てくださいとも言えず、当初は“助けてください”というスタンスでしかやれなかった」と当時の苦しい心境を振り返る。
「和食レストラン朱鷺(とき)」は、当初9月にオープンを予定していたが、昨年の台風で屋根の一部が損壊するなどして延期。11月の開業直後にコロナ禍が襲い、前年度の売上がないことから持続化給付金の対象にならないなど、開業半年でいくつもの苦境が続いた。
オーナーの土岐氏は「出端を挫かれたような思いでしたが、クラウドファンディングなどで町の飲食店さんとも繋がりができ、自粛期間にお弁当を買いに来てくれたサーファーの方が、今はお店にも来てくれるようになりました。コロナ禍だったからこそ得られたことかもしれません」と力強く前を向いている。
「五輪延期の補償はない」
コロナ禍による来訪者数の減少で全国の多くの都市が苦しい状況にあるが、一宮では五輪競技会場の町ならではの影響もでている。
アメリカ代表選手団が宿泊する予定だったペンション「サードプレイス」は、アメリカ代表チームと密に連携をとり、選手団が快適に滞在できるように、キッチンのリフォームやガレージの新設も進めてきた。
5月の事前合宿と7月15日から五輪終了まで貸切予約が入っていたが、五輪延期に伴い予約も来年に延期。全て水に流れたわけではないものの、今年の予約はまだ埋まりきらず厳しい現実もあるという。
サードプレイスのオーナーである橋本敏宗氏は「国・県・町からそれぞれの給付金もあり、4~5月はなんとかしのげました。一方で、コロナとは違い五輪の延期に対しての補償はなく、7月後半から8月にかけて貸し切りとしていた期間はまだ埋まりません。お盆の予約は徐々に入り始めていますが、GWや夏の繁忙期を逃したことで厳しいのは事実です」
一方で五輪については「全て延期になり、ふっと脱力しました。こんなに予定が狂うんだと驚きました。でも、来年来てくれる前提で、今できる準備をしていくしかない。準備期間が伸びたので、余裕を持って取り組めるようになった。USAチームがいい環境でサーフィンできるように、試合に臨めるように、環境を整えたい」と既に来年を見据えて動き始めている。
サーフギアやアパレルを取り扱うサーフガーデンは五輪の開催に向けて、関連商品の準備も進めていた。去年頃から訪れた外国人客に鳥居の写真を見せられて「この商品はないか?」と尋ねられた経験から、志田下のシンボルである鳥居とカタカナをあしらったオリジナルキャップとTシャツを開発。
さらに、五輪機運を盛り上げるため、各サーフブランドに呼びかけて日本を感じさせるTシャツコレクションを展開した。既に店頭に並べられており、当初想定したいた程ではないがお土産に買っていく人もいるという。
やっぱりサーフィンは不況に強い?
しかし、6月に入って町にサーファーが戻り始め、一宮町は徐々に活気を取り戻しつつある。週末は波がなくとも駐車場が満車になる日もあり、例年以上にサーファーが集まっているとの実感を持つ人も多い。
一宮町サーフィン業組合長であり、自身もサーフショップを経営する鵜澤清永氏は「ボーナスや給付金の時期が重なったせいか、6月は例年以上にサーフボードが売れました。レギュラーボードと小波用など2~3本合わせて買う人や、高価なボードを購入する人も多い。海水浴場が開設されないことで、ソフトボードの売れ行きも伸びています」と話す。
前述サーフガーデンの明松輝壮店長は「去年は長梅雨で売上が低かったこともありますが、6月の売上は対前年を上回ります。今年は海水浴場が開設されないため水着は売れていませんが、ハードギア系は売れています。“給付金がでたから”と買っていく人も多い」と同じく6月以降の好感触を示している。
「サーフィンは不況に強い」とも言われる。サーフィン業界は市場規模こそ小さいが、サーフィンは自然相手のスポーツ・遊びであると同時に、生活にまで浸透しているライフスタイルだからこそ、不況下でもサーファーはサーフィンを続けるし、そのための消費を惜しまない人も一定数存在する。
コロナ禍で試合組織やプロサーファーが苦境に立たされていることは間違いないが、それでも他産業に比べこうした明るいニュースが比較的早く聞こえてくるのはサーフィンの強さを表しているのかもしれない。
次回は、実際に今年五輪が行われていたら一宮町でどれくらいの経済効果が生まれていたのかについて試算してみたい。
(THE SURF NEWS編集部)