波情報BCMの会員特典「BCM x F+ 2022年カレンダー」では2001年から2021年までのワールドチャンピオンを紹介。各月の採用写真について解説するF+つのだゆき編集長オリジナルコラム企画を、THE SURF NEWSでは特別に翌月公開します。今回は12月を飾ったジョン・ジョン・フローレンスについて。
※このカレンダーは2022年版となります。来年度(2023年版)カレンダーではありませんのでご注意ください。
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F+(エフプラス)
2019年のワールドチャンピオンはイタロ・フェレイラ。ブラジリアンとしてガブリエル・メディーナ、エイドリアーノ・デ・スーザに続き3人目のワールドタイトルホルダーとなった。1994年5月6日生まれ、28歳。168センチ68キロと小柄だが、その小柄を生かしての敏捷性とたぐいまれな身体能力で、誰も真似のできないスピードのあるフルローテーションエアーを武器にして、タイトルを手にしたと言っても過言ではない。そして2021年に開催された東京オリンピックでは、サーフィン界初のゴールドメダリストとなる。今シーズンはファイナルズで4位からの2位という逆転劇も見せた。選手の大型化が進む世界トップレベルのサーフシーンで、小柄ならあそこまでやれなくてはならない、という見本ともいえると思う。
とにかくイタロのフルローテーションの回転速度と来たら、目にもとまらぬクリクリクリッ、という感じで、あれだけ早く回れれば滞空時間が少なくても十分間に合うので、成功率はとても高い。9割を超えるんじゃないかと思うぐらいだ。高さも滞空時間も少なくていいので、アプローチもそんなに時間と場所を問わず、結果としてイタロはいつでもどこでも飛んで回れる、という強力な武器を手にした。あのスピードは今も彼独自のものといえると思う。
サーフィンをやってなければアクロバットでもやってたんじゃないだろうか、と思うほどの身のこなしは、優勝すると表彰台からバク転で降りる、みたいなイタロお約束のアクションもラクラク可能にする。
ブラジルの北東部、バイーアフォルモーザという南米大陸の東に張り出しているあたりにある田舎の漁村の出身で、父が魚を売るのに使っていたクーラーボックスのフタでサーフィンを始めた、というのはあまりにも有名な話だ。
そこはリオ、サンパウロ、フロリアノポリスといった南ブラジルのサーフタウンから2000キロ以上離れたエリアで、そのエリア出身の選手はブラジリアンストームの中にあっても異色の存在といえる。
ブラジルメディアの人の話では、そのエリアにはイタロレベルのサーファーや身体能力を持つ子供は掃いて捨てるほどいるらしい。ただ貧しいエリアなので、サーフィンのコンテストで海外に出るなどというのは夢のまた夢なんだそうだ。磨けば光るダイヤの宝庫。だからスポンサーの目に留まって海外に出てこられたイタロは本当にラッキーだったという。まぁ、そのイタロがワールドタイトルをとったことで、その辺の状況は大きく変わるに違いない。第2第3のイタロがボロボロ出てきても、驚くには値しないということだ。
2014年QS7位でクオリファイ、2015年のCTルーキーイヤーは7位と健闘したが、彼が本領を発揮し始めたのは2018年、ベルズで優勝した後だと思う。
この時のベルズはミック・ファニングの引退イベントで、ファイナルの相手はそのミックだった。まぁ、会場に集まった多くのミックファンを敵に回したわけだけど、表彰式でのミックをたたえるコメントや持ち前の明るさで、難しい立ち位置をうまく切り抜けたように記憶している。
正直なところ、それまでイタロ・フェレイラは選手としてはノーマークで、ガブ、スーザと来たブラジリアンストームの次の立役者はフィリッペ・トリード、というのが大方の見方だった。しかしフィリッペより先にイタロがタイトルを手にすることになる。
特に当時フルローテーション1発にエクセレントを出すようなジャッジが横行し始めていて、イタロのスピードと高さのあるフルローテは高く評価された。あれに8点出すならいつでも勝てるよね、だってイタロ、あれはいつでもどこでもできるわけだから、と何度思ったことだろう。じゃ、みんなもそれやればいいじゃん、なわけだけど、あれはイタロにしか出来ないし、ガブですら近年ようやく追いつき追い越した感があるぐらいだ。
よって高評価もしかたのないことかもしれない。
2019年、イタロのタイトルはある意味初戦のゴールドコーストで決まったと言ってもいいと思う。コロヘ・アンディーノとのファイナル、コロヘリードで終盤、プライオリティもコロヘ。もう秒読みでコロヘ悲願の初優勝のはずだった。そこでこの波なら逆転に必要な7点台は絶対出ないと踏んでコロヘがいかせた波で、イタロは走って走ってインサイドでフルローテ1発。ガッツポーズもなく、負けた感いっぱいで上がってきたけど、ジャッジはその小波でのワンマニューバーに7点以上を出し大逆転勝利。今でもあのポイントが正しかったかどうかは疑問だし、乗らせたほうのコロヘも、もしまた同じことが起きても自分は何度でもあの波はスルーする、と後で語ったほどのポテンシャルのない波だった。あれが6点後半でわずかに足りずにコロヘが優勝だったら、あの年のタイトルはコロヘだったんじゃないかと思う。あの1本のポイントがふたりのそのシーズンの明暗を分けた。まさに運命のジャッジング。
その後得意のポルトガルでシーズン2勝目、最終戦のパイプではシェーン・ドリアンをコーチにつけ、苦手なバレルを克服。幸運にもその年のパイプは比較的柔らかいほうで、イタロは自分がなんとかできる波をうまく選んでメイクし、優勝した。パイプマスターとワールドタイトルのダブル受賞だった。
シェーン曰く、イタロは英語はまだよくわからないようだけど、まじめで努力家で笑顔を絶やさないいいやつ、という評価。確かにいつもカメラに気づくとニコニコしてくれるようなところがあり、この評価にはうなずける。
ここの所ケガに泣いたりしているけど、あのサーフィンをして怪我がないほうが奇跡ともいえるので、うまくその辺は折り合いをつけてほしいと思う、この先イタロの課題となるのはやはりターン。正確なレールコントロールのフルレールターンを身につけることがウイークポイントをなくす近道かと思う。