1990年代初頭にケリー・スレーターとライバル関係にあったシェーン・へリングが3月16日の日曜日に自宅で亡くなった。
享年53歳とあまりにも早過ぎる死だった。
栄光から転落
ケリーと同世代のシェーン・へリングはオーストラリアのマンリー出身。
幼少期にディーワイに移住してサーフィンを始めた。
CT入りして僅か1年後の1992年、地元から近いノースナラビーンで開催された『Coca Cola Surf Classic』のファイナルでケリーに勝ち、半年間にも渡りランキングトップに立っていた。
へリングのスタイルはオージーらしいパワーサーフィンで、グレッグ・ウェバーによる「バナナボード」と呼ばれる革新的なデザインのサーフボードを武器に同年の最終ランキングでも4位とキャリア最高の結果を残し、スポンサーとの大きな契約にも成功した。
しかし、ノースショアのパイプラインに対する恐怖心とアルコール依存、薬物依存が彼を引退に追い込み、1994年にはコンテストから姿を消した。
栄光から転落まで僅か数年と彼のキャリアは短命だった…。
その後、リハビリ施設で回復し、バイロンベイでサーフボードの修理業を行っていたシェーン。
ここ数年は、恩師グレッグ・ウェバーの協力を得て、新たにサーフボードブランドを立ち上げていた矢先の死だった。
(染谷たかし)