『ザ・サーファーズ・ジャーナル日本版』の最新9.6号が3月15日に発売された。 今号のオリジナルコンテンツは、かつて天才サーファーと謳われ、こつ然とサーフィンの表舞台から姿を消した青田琢二を特集する。
Back Home Again!「野性の品格」
青田琢二のディストピア(暗黒郷)とは
話は一昨年の冬、私が抱井保徳と会ったときにはじまった。抱井は、青田のトリビュート(称賛として捧げるストーリー)をやりませんかと、私にそのアイデアを披露した。青田が平塚の海岸にブルーテントで生活しているという噂は前々から聞いていたし、そんな青田のいきさつや心情、現在の様子などを知りたいこともあり、この編集企画は進行していった。
青田琢二が、平塚の海岸沿いに防砂・防風林として植えられたクロマツの木が林立する松林の一角に住み、一見ホームレスと見紛うような生活をはじめたのは、およそ10年ほど前だ。「なにか、住むように仕向けられているような気がする」と、青田は潮に引き寄せられるように、もともと実家があった場所にブルーテントを張って住みはじめる。そこは、青田が1歳から20歳まで住んでいて、土地改良工事のために立ち退きを余儀なくされた場所だった。
序文:抱井保徳 文:森下茂男
PEOPLE:池田潤
元プロ・ロングボーダーの池田潤は2017年の夏に仕事場で、脳出血で倒れたんだ。でもその年の暮れに、サーファーズでおこなわれたクリスマスパーティーにやって来て、元気な姿を見せてくれた。翌年の夏には毎日のように、ぼくらのホームブレークのインサイドでボディーボードでサーフィンをする姿があった。ネギシ(小坪の酒屋)で潤に会ったとき、ビール缶を動かない右手で持つようにアドバイスしたんだ。アキ秋山もおなじことを言ったらしいけど、動かなくなった手や足を意識して使うようにしないと、いつまでたっても治らないからね。
でも潤の話を聞いてみると、そこまでリハビリができるのって、すごいことなんだよ。こういう病気は、潤のような明るくてポジティブな気持ちが必要なんだ。だって諦めちゃう人がたくさんいるもの。そんな潤のリハビリの経験と気づきがいっぱいつまったリハビリ日記の本をぜひ執筆してもらいたいね。それにサーファーの潤らしく、リハビリのフィールドも海というところがいい。リハビリもまさにライフ・オン・ザ・ビーチなんだ。
インタビュアー:ジョージ・カックル
General Veneer
「ジェネラル・ベニア」
バルサボード時代を支えた木材加工会社の存在。
バーノンには、パシフィック・システムがあり、サウスゲートにはジェネラル・ベニアの本家があった。このバーノンとサウスゲートというふたつの市は、地図で見ると上下に位置し、ちょうどLAのスキッドロウ(スラム街)の風下にあった。このふたつの会社は木材の買いつけと加工をおこなっていた。パシフィック・システムの創設者はブレネ・ベーカーとウィリアム・ブットのふたりで、プレハブハウスのキットをつくる、世界でもっとも大きな会社に成長していった。いっぽうジェネラル・ベニアは、1931年、木材加工の会社としてのオフィスを構えた。場所はサウスゲートのオーティス通りで、パシフィック・システムよりも30ブロックほど南にあった。創立者はダグラス・デウィット。のちに複合素材を航空宇宙産業に供給する大手企業へと成長することになる。
文:リチャード・ケンビン
Landscape Painters
「ランドスケープ・ペインターズ」
西オーストラリアのアウトバックを行く。
ぼくには、毎年かならず訪れる場所がある。西オーストラリア州の北部に位置する砂漠地帯だ。ぼくが暮らすマーガレットリバーからは車で15時間。南西の海岸にストームがやってくると、つい北へ向かいたくなるのだ。たいていはどこかに良い波があるから、天気図はそこまで気にせずに、とりあえず向かってみる。もし波が大外れだったとしても、キャンプや釣り、ビールを飲みながら焚火を囲み語り合う、楽しい時間が保証されている。
文:タジ・バロー 写真:ジョン・レスポンデック
Evert Desert Hides a Well
「砂漠の泉」
1970年代のサーフスケーター、ソノラ砂漠のパイプランドに向かう
セントラル・アリゾナ・プロジェクト(CAP)とは、コロラド川の水をハバス湖からアリゾナ州の大都市圏へ供給するための用水路だ。運河と地下トンネル、パイプライン、そしてポンプ設備などが複雑に入り組んだシステムは、連邦議会が認可した当時最長のプロジェクトとなり、水路の設計と仕様は土地改良局が決めた。全長173マイル、幅80フィートのコンクリートで舗装されたグラナイト・リーフ導水路は、CAPの起点として7つの主要な河川を横断し、システム最大級の流量を誇る。逆サイフォン(伏せ越し)構造のパイプは直径21フィートもあり、最長2マイルにおよぶ。7つあるうちの6つは補強鋼線入りのコンクリートで成型され、それを上回る大きさのパイプは当時存在しなかった。内径252インチ、肉厚21インチ、各セグメントの長さは22.6フィート、重量は225トンに達する。
エクスポーネント・コンサルティング社(パイプの修理を請け負った業者)
高校生のときにパイプの製造元だったアメロン社に手紙で頼んだら、CAPプロジェクトのマップを送ってきてくれたんだ。パイプの建設用地を次々と探し当てて、皆で押しかけることができたのはそのおかげさ。
スティーブ・ピングルトン(アリゾナの先駆的スケーター)
Cocktail Hour
「カクテルアワー」
写真家ジョン・フックが撮影したワイキキのナイトサーフィン。
フックがカメラと出会う何年も前、まだ高校生だったころ、彼は友人と夜のクィーンズにパドルアウトしたそうだ。それは混雑を避けるためだけでなく、楽しかったからだ。「(当時のセッションについて)波に乗るたびに、サーフィンがうまくなったような気になったのを覚えている」と彼は笑った。「暗闇の中では波はじっさいよりも大きく感じられ、スプレーも大きく飛んだように思えた。インサイドのチューブも迫力があった」。彼の言っていることは私にもよく理解できた。
序文:デビッド・ウォン
Action Hero
「アクションヒーロー」
みずからのサーフ体験をキャンバスに塗りこむポストモダン・アーティスト、ジョン・ミレイ。
ミレイと会話を交わしているうちに、2002年に彼の3部作を目の当たりにしたときの様子を思いだした。作品のタイトルは『For Surfing』で、2000年3月にハワイ・パイプラインで溺れたトラビス・マッスルマンの死を悼む哀歌として制作された。寸法は138 x 80インチと縦に細長く、上からのしかかるようなそのレイアウトは、鑑賞する者の頭越しになにかを訴えかけているようだ。
文:アレックス・ワインスタイン
ほかにも、コスタメサにあるVANSの本社でグローバル・サーフチーム・マネージャーとして働いているノーラン・ホールの作品を紹介する「ポートフォリオ:ノーラン・ホール」など、今号の『ザ・サーファーズ・ジャーナル日本版9.6号』も話題満載。
THE SURFER’S JOURNAL(ザ・サーファーズ・ジャーナル)日本版9.6号
●世界でも選りすぐりのフォトグラファーによって捉えられた、サーフィンの美しく迫力に満ちた瞬間。
●新旧様々なライターたちに綴られる、本質的でバラエティに富んだストーリー。
最も信頼されるサーフィン誌として世界中のサーファーたちから愛され、書店では買うことができないライフスタイル・マガジン。
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