砂の堆積でかつての手すりや階段が埋まった志田下ポイント

侵食落ち着いた一宮町の海岸 砂の堆積進む

千葉県一宮町の海岸線で、砂の堆積が続いている。かつては、波による侵食に悩んだ地域だったが、現在はさまざまな対策が功を奏して、浸食は食い止められている。代わりに、砂浜の砂が内陸側へ飛散し、かつての消波ブロックや人工構造物は埋まってしまった。

東京五輪の会場となった釣ケ崎海岸(志田下ポイント)から、海岸線を北へ向かい、約1.5キロ先にある東浪見海岸の中間地点付近まで、「波返し」と呼ばれる高さ約80センチのコンクリート製の堤防がある。

砂に埋もれた「波返し」

東浪見海岸の「波返し」の北端。この地点から南側はほぼ砂に埋もれている

この波返しの海側に消波ブロックが設置されているが、現在は砂に埋もれ、ほとんどが見えない。地元住民らによると、15年ほど前までは、この堤防付近まで海水があったという。砂浜の侵食が進んでいたころだ。

九十九里浜の浸食は1960年代~

千葉県外房の九十九里浜は、北は旭市の屛風ケ浦から南はいすみ市の太東崎まで約60キロの海岸線だ。

海岸線の侵食が始まったのは1960年代。屛風ケ浦と太東崎の崖崩れを防止する措置や漁港の建設を行ったところ、崖崩れによって発生していた砂が、潮の流れに乗って両岬の間にある九十九里浜にたどり着く「漂砂(ひょうさ)」という現象が止まってしまった。加えて、天然ガスの宝庫である九十九里地域では、ガス採取に伴う水のくみ上げで地盤沈下が進行。侵食に拍車をかけた。

侵食による高潮や漁業被害、観光への影響などが社会問題化。対策として、一宮町では1988年度からヘッドランドと呼ばれる人工岬の建設が始まった。しかし、2010年、ヘッドランドによる波質の変化などを懸念したサーファーらが見直しの署名活動を実施。県、町、サーファー、有識者らによる会議体が発足し、ヘッドランドの形状など計画変更を経て、今に至る。

一宮町内のヘッドランドは10基。先端をT字形にする予定だったヘッドランドの一部は、波への影響を考慮し、I字形のまま工事を終えた。

砂を運ぶ「養浜」も奏功

さらに、一宮町内の浸食の食い止めに奏功しているのは「養浜(ようひん)」だ。九十九里浜の中でも砂が溜まりやすい、片貝、太東両漁港の海底や一宮川の河口などから砂を引き上げ、トラックで運び、一宮海岸の海水浴場と地引網の拠点に投入している。毎年夏と冬の2回行われ、計約2万立方メートルの砂が運ばれている。

ヘッドランドと養浜によって、一宮町の侵食は「ほぼ食い止められている」(町の担当者)という。むしろ、一部では、風による砂の堆積で波打ち際は海側へ戻りつつある。

浸食は止まったが…

釣ケ崎海岸付近では、波返しの陸側にコンクリート製の管理用道路が通っていたが、今は完全に砂に埋もれ、その管理用道路から波返しの上に上がるための階段の手すりだけがかろうじて、砂の上に出ている。

波返しよりも、さらに陸側にある津波対策の土堤は、陸側の階段が14段に対し、海側は4段しか見えていない。残りは砂の中だ。かつて波返しまであった波打ち際は、数十メートル海側へ戻った。砂の堆積が続く現状に、町民から「散歩がしづらい」などの苦情もある。

町「大きな影響はない」

海岸線の管轄形態は複雑だ。県北部林業事務所、県長生土木事務所、町がからむ。経年劣化や災害による堤防の破損など、防災上の問題点を優先しており、県が対策に乗り出すことは難しい。一方、海岸線の管理主体は県のため、町が勝手に対応することもできない。今のところ「大きな影響はない」として、県、町とも静観の構えだ。

シダトラポイントでは、波返しの上部がかろうじて見え、サンダル置き場になっている

県によると、県が管理する川や海岸で、住民や企業による美化清掃などのボランティア活動を行政が支援する「アダプトプログラム制度」があり、住民による申請は可能という。

サーフォノミクスを実践し、五輪開催地として世界サーフィン保護区の申請を目指す一宮町。砂の堆積が進めば、サーフィンを楽しむ人々の利便性は少なからず落ちる。五輪開催時、大会組織委員会は県と協議の上、会場周辺の砂を除去した経緯がある。町の担当者は今後の対策について「町民らから要望があれば検討する」としている。

Photos by Chiaki Sawada

(沢田千秋)

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