2024年6月23日、パイプラインのスペシャリストでライフガードのタマヨ・ペリーが鮫に襲われて死亡した。事故が起きた現場はオアフ島の東側にあるゴートアイランド。発見したローカルサーファーによれば、タマヨは腕と脚を失った状態で海に浮かんでいたという。タマヨの身体は、急報を受けたライフガードのジェットスキーによって確保され、ホノルルのエマージェンシーサービス(EMS)によって死亡が確認された。その損傷からシャークアタックの可能性が高いとEMSは発表している。ちなみにゴートアイランドはタマヨにとって思い出の深いサーフポイントだった。この記事では追悼の意味も込めて、映画俳優としても活躍したタマヨ・ペリーの足跡を紹介したい。
サーファーとして、映画俳優として
タマヨ・ペリーは1979年にオアフ島に生まれ、イーストサイドで育った。サーフィンは12才で始めた。その頃にタマヨは、後にミュージシャンとして成功するジャックジョンソン(パイプラインの前に住んでいた)と出会い親友の間柄となった。しかしタマヨ自身は恵まれた環境で育ったわけではなく、サーフボードを借りなければならないような苦しい時期もあったが、敬虔なクリスチャンとしてピュアにサーフィンに取り組んだ。米国サーフィン誌のインタビューで、タマヨは最近読んだ書物を質問され、聖書とイエス・キリストの再臨に関する本二冊を挙げている。
グーフィーフッターのタマヨはパイプラインでのディープなチューブライディングで知られているが、ジェリー・ロペスとトム・キャロルに憧れて彼らのスタイルを手本とした。そして1999年のパイプラインマスターズのトライアルで優勝し本戦に出場できるチャンスを得ている。またタヒチのチョプーで行われたビラボンプロのトライアルでは5位に入賞した。しかしタマヨの真価が発揮されたのはコンテストよりもフリーサーフィンだ。パイプラインでの彼のパフォーマンスは傑出し、写真家たちの注目の的となった。彼が全盛期だった2004年には、シーズンを通じてパイプラインで最も活躍したサーファーと評価された。
パイプラインで恐れを知らぬチャージャーとして名声を集めたタマヨだが、彼に転機が訪れた。パイプラインで他のサーファーのサーフボードが頭部に当たって瀕死の重傷を負ったのである。その教訓を生かして、彼はサーフィンのマナーや安全な乗りかたを教えることをライフワークとし、妻エミラと共に「オアフサーフィンエクスペリエンス」を立ち上げ、さらにライフガードの職も得て新たなキャリアを築いた。
タマヨ・ペリーはプロサーファーとしてだけでなく俳優としての顔もあり、映画やTVドラマそして広告にも出演している。代表作はパイレーツオブカリビアン4、チャーリーズエンジェル2、フルスロットル、ブルークラッシュなどがある。TVドラマではロストとハワイファイブ-0.他。広告ではニッサンXテラのインターナショナル広告キャンペーンに出演。その映像はNFLのプレイオフや冬季オリンピックのときに放映された。さらにコカコーラの広告にも出演している。彼がフューチャーされたサーフムービーにはザボンブ(1998)、リベレーション(2000)、オールアボード(2002)、ロード・パイプ(2004)などがある。
故人の冥福を心より祈りたい。
参考文献:サーフィン百科事典、サーファーマガジン他
(李リョウ)