シリーズ「サーフィン新世紀」23
コルテス・バンクで被った溺死寸前のワイプアウト。そのトラウマから学んだ人生の意義について、グレッグ・ロングが語った。
この記事は米国サーフィン誌2014年2月号”Illumination” by Greg Long。を基に本人の許可を得て構成いたしました。
訳注「Illumination :イルミネーション」とは、光源、精神的に目覚めた状態、理解のために障壁を取り除くなどの意味がある。
イルミネーション
文:グレッグ・ロング、翻訳:李リョウ
人は挑戦や困難から人生を学ぶことができる。今からおよそ1年前、ビッグウェーブをサーフするという情熱の果てに、私は危うく命を落としかけた。大波に乗るために、慎重に準備を整えるサーファーの1人として私は認識されているが、その日、一つだけ準備を怠っていたことが私にはあった。それはビッグウェーブをサーフするという情熱が仇となり、自分自身の能力を客観的に見つめていなかったということだ。
事故直後、私はこの経験を語ることを控えた。事故の追体験をしたくないというトラウマがあったからだ。時間が経過してから、やっと私はこの事故について語ることができるようになった。しかしこの話をする目的は、事故からの生還を自慢することではなく、皆に教訓として捉えてもらいたいためだ。
あの致命的なドロップとその後の1年間、私は世界のビッグウェーブのサーフシーンにおいて、私の存在意義というものを捜し続けてきた。その情熱から得られる確信こそが、私がそれまで目指していた人生最大の挑戦であったのだから。
2012年12月21日に話を戻そう。その日、私は110フィートのチャーター船に乗り、南カリフォルニアの沖合100マイルにあるコルテス・バンクへやってきた。そこには深海にそびえ立つ岩山がある。チームは私とシェーン・ドリアン、グラント”ツイギー”ベーカーそしてイアン・ウォルシュ。その4人のサーファーに加えて、6台のジェットスキーによるレスキュー部隊が参加していた。レスキューの6人はそれぞれのサーファーに各1台が帯同し、残りの2台は記録と援護という役割を担っていた。
その日の午後、私は5本セットの二つ目の波を、ディープ過ぎる位置からドロップを試みた。ボトムまでには到達したが、波が私に襲いかかり私を深海へと沈めた。波による強い圧力の危険性を十分に感じながら、私は装着している救命スーツを利用してできるだけ早く海面に浮かび上がろうとした。
しかしそのスーツは作動しなかった。そのために私は長年やってきたように、十分にトレーニングを積んできた二つの肺と自信だけを頼りに心を落ち着かせて耐えることにした。だが、その時間は長く過酷だった。しかも次の波が崩れるまで、おそらく海面に出て息を吸えないかもしれないことを認めなければならなかった。二つの波を海中でやり過ごすということは、自分の人生を終わりにすることに等しかった。私は懸命に海面を目指した。
そして、ほんのあと数フィートで海面に出られるというところで、私は次の波のインパクトをもろに受けてしまった。その衝撃で私の肺にあったわずかな空気は吐き出されてしまい、身体はショックで震え出した。
肺に空気が全く無いということに、私は絶望した。私の身体はもだえ、必死になって空気を吸いたいと暴れ出した。しかも、まだ私は海の深いところに沈んでいた、なにがどうあろうと息を吸うことはできないのだと悟るしかなかった。「私は大丈夫だ。きっと海面にたどり着くことができる」と思うことだけが唯一の選択であった。身体をリラックスさせようと懸命に務めると、呼吸をしたいという要求が一時的にではあるが少しは紛れることができ、私の頭上で新たな波が崩れる音が聞こえても落ち着くことができた。
ポジティブシンキングの力は強い。しかし体力には限界があり自然の摂理には逆らうことはできない。ぐずぐずしてはいられない、なんとしてでも私は海面に出て息を吸わなければならなかった。3発の波で海のなかは激しく渦巻き、泳ぐことは不可能であったので、私はリーシュを頼りに登ろうとした。私は懸命にそのリーシュを握りしめて数インチずつ登っていった。やっとサーフボードのテール部分に辿りついたものの、ボードは海面から10フィート下で留まったままだった。
痙攣と痺れと悶えが再び襲ってきた。脳の酸素が欠乏し疲弊しはじめ、私はサーフボードをしっかりと握ることができなくなってきてしまった。そのために私はボードを離して気力を振り絞り、海面に向って最後のストロークすると、そのまま意識を失った。
4つ目の波が私をインサイドまで運び、そこで私は海面にうつむいたままで浮かんでいた。ボードは傍らで浮かんではいたがリーシュは壊れていた。似つかわしくない私がそこにあった。まるで墓石に化したかのようなボードと私へレスキューが接近しようと試みたが、波に阻まれて思うように近づけなかった。しかしついにDK・ウォルシュが、果敢にジェットボードを捨てて飛び込むと、その死体のような私の身体を抱えて、波に流されないように持ちこたえてくれた。
続いてジョン・ワラとフランク・クイラーテが、私の身体を待ち上げてスレッドに乗せ、サポート船へと運んだ。船へ引き上げられるとき、スイムステップのところで私はすぐに意識を回復した。そして痙攣と、咳をして多量の血液の泡を吐いた。チームは私に酸素を与え、脊柱などに外傷を受けていないか調べた。そしてコーストガードに通報し救助のヘリを要請した。
コーストガードのヘリを待ちながら船上で横になっているとき、私は自分の人生を熟考した。「生命」は森羅万象とともに成り立っている。死に直面したとき、人はこの世の中の真理に迫ることができる。私は私自身が誰であるか、その存在意義をそのとき知ることになった。だがそれはプロフェッショナル・ビッグウェーブサーファー、グレッグ・ロングではなかった。コンテストの栄冠、XXLアワード、物質的な欲や栄光は、私の心からは遥か遠くへと去ってしまった。
その代わりに心に浮かんだものは、生身の私自身への問いかけだった。私は、これまで周囲の人々に寛容と尊敬の念を忘れてはいなかっただろうか。私は、人生における真の目的を持っていたのだろうか。私は、世の中のための役割を全うしていただろうか。私は、感謝の念を忘れてはいなかっただろうか。私は、この気狂いじみた行為をどれだけ自己評価できるだろうか。もしあのとき私が死んだら、私が大切に思っている友人や家族らは、彼らにとって私がどんな価値をもっていたかを考えてくれただろうか。
5時間後、夜の大海原で、私を載せた担架はヘリに宙づりにされ、100マイル先のサンディエゴの病院へと搬送された。CTスキャンなどさまざまな診査がされたあとに、一晩だけ二次溺水の可能性を考慮して入院し、翌日には帰宅の許可が出た。
私はその後、多くの人から質問をされた。CPR(心肺機能蘇生)を受ける必要が無かったのはなぜか、それからどうしてそんなに早く回復したのか。
その答えは、二つの要素からなりたっている。まず一つ目は、私は水中で呼吸できずに、もだえ苦しんだがパニックには陥らなかった。無呼吸を耐えたあと、喉頭けいれんが起こり、喉や顔の筋肉が作動して気道を閉じ、肺に水が進入するのを防いだ。
これは、哺乳類の本能で、水難やブラックアウトのときにも起こる現象だ。この過程で、身体に残った酸素はすべて脳に運ばれ可能な限り生きながらえようとする。そして酸素が完全に欠乏すると、筋肉は弛緩し身体は自然に呼吸を求めるようになる。この時点でも水中に留まっていると肺に水が進入することになる。
二つ目の要素は、その肺に水が進入する前にレスキューチームが私を海から救出したために救命処置は必要としなかった。だから回復も早かった。
数日後、私はマーベリクスのビッグウェーブセッションに参加した。そこで私は、私を驚異の目で見つめる人々と顔を会わせることになった。そのような衆目のなか、その代わりのように本誌(サーフィン誌)が私に質問をした。その主旨はこうだった。「瀕死の事故に遭ったばかりなのにどうしてビックウェーブに臨むことができるのか」私は簡潔に言葉を選んで答えた。ビッグウェーブサーフィンは私の夢であり、そのチャンスを何ものも阻むことはできないと言った。
だが正直なところ、なぜパドルアウトしたのか私にもその理由がよく判らなかった。ビッグウェーブをサーフするという至福に満ちた自分の夢が、悪夢に変わっていたというのに。そのときのインタビューで、私の精神状態はかなりエゴがむき出していた。じつは私はこう考えていた。もし私が出場しなければ、周囲は私が怯えたと感じるのではないだろうかと。じつは私の本当の気分は、友だちの見ている前で、自転車で糞を踏んでしまったかのような気分だった。
もしそうだとしたらどうすれば良いんだ?汚れを拭いて自転車に乗り続けるしかない。傷つき惨めだろう、また一方では、怒りを感じていたことを悟られたくはないと思うに違いない。
それからの私には、これまでのように胸を弾ませてビッグウェーブへ向ってパドルをストロークするなんてことはできなかった。最初のセッションで、すぐに脆弱な気持ちが露呈した。私は自信と判断力さえも失っていた。このセンチメンタルな精神状態は、普段の生活にも影響を及ぼした。私は心のドアを閉じ、襲いかかるさまざまな葛藤と格闘をはじめた。16年間、ビッグウェーブへ全身全霊を傾けてきた私の「世界」は崩壊し、その瓦礫の下にうずくまってしまった。
それでも私は、それから数ヶ月前進を続けた。できうる限りのビッグウェーブセッションに全力で取り組んだ。事故前のような気分でサーフすることが、いずれは訪れるのではないかと期待していた。マーベリクス、ジョーズ、プエルト、チリと全てのセッションは私自身の心との格闘だった。
南アフリカでビッグスウェルを追い続けていたときにも、私は見失った自分の居場所をラインナップに捜そうと懸命になっていて、ついに壁にぶちあった。フラストレーションで疲弊しきっていていた私の心がそこにあった。私は、ビッグウェーブに乗ることに喜びを全く見いだせないことを否応なく悟った。
Greg Long, 2015/2016 Big Wave World Tour Champion!
私は、人生で初めてビッグウェーブサーフィンを意識的に避けるようにして旅に出た。ボードバッグとカメラ、スウェルチャートを家に置き去りにして、ペルーのアンデスへと向かい隠遁的な生活を始めた。
私は日常から逃れて、自分の人生を俯瞰で見つめ直すことにした。そして混乱する私の心からあるシンプルな答えを見つけた。その答えは、いままで私があまり注意を傾けてこなかったことだった。それはあのとき、船上で横たわりながらヘリを待っているときに感じていた気持ちとたいへん良く似ていた。
つまり私はあの事故が起きてからも、それまでのビッグウェーブサーファー、グレッグ・ロングに戻ろうとしていたのだった。誰もが夢を実現しようと努力するように、そうすることが、正しい選択と私は信じていた。
だが、現実の世界は違う、この世の全ての事象はつねに変化を続けている、それは否定できない事実で、昨日まで感じていたことや、抱いていた夢が今日は異なっているというのは、普通に起こることなのだ。
その変化は受け入れるしかない。過去の実現できなかった夢を悔やみつづけるか、もしくは、いま現在の価値ある幸福へ向かって努力するべきか、事故後に私が無理して続けていた挑戦は、私自身の本音を隠そうとしていたことに他ならない。
今回の事故は、私にとってトラウマであったしそう感じてきた。でもそれは瀕死の経験だったからそう思うのだろうか。事実とは人の思い込みによって成形されていくものだ。コルテツの深海のなかで、私が堪え難い痛みと呼吸の渇望を放棄したことは、人生を生き抜くときに抱くネガティブな思考や感情さえも放棄したということと全く同じようなものと捉えていた。
だがその経験を、私はネガティブにではなく、学ぶ機会を得たのだと考えるようになった。それにより、私は精神的な重荷から開放されることができた。人生というゲームのなかで、私たちは夢の実現を追求している。そして誰もが人生のワイプアウトを経験し、大丈夫だと自分に言い聞かせる。苦痛や悲しみを避けていく道もあるが、なにが起ころうともそれを受けいれるという選択によってこそ人は人生を学び、知恵を得て賢明となり、洞察力を備え人間としての成長につなげる。
自分を見つめ直す黙考の旅で得た教訓は、周囲の期待や批判に振り回されるなということだった。その代わりに、私は自分自身の内なる真実の声に耳を傾けねばならないということに気づいた。その真実の叫びに耳をふさいだり、その湧き上がる気持ちや感情を隠していたならば、私はさらに混乱に陥ってしまっただろう。
これからも私は周囲から事故について質問されるだろう。復活して、いままでのようにサーフィンを続けるのだろうかと。私は、いままで自分自身への挑戦としてビッグウェーブに挑んできた。人生の目標として留まることなく挑戦を続けた。
私はこう言いたい、人生から学び成長することこそが真の挑戦だ。方法は何でもよい、もしその経験から学び得るものが在るならば、プロフェッショナルやアマチュアということにこだわるのはどうでもいいことだと。
人はそれぞれが異なる道を歩み、さまざまな経験によって「個人」が形成されていく。幸福の実現を目標に努力し、その道すがら人を助けたり、喜び、夢、感情、献身を胸に生きていく。
人生という不条理を楽しむことは、波を上手にサーフしたり、またはヘビーなワイプアウトを繰り返して成長することと同じだ。それが、価値感や美徳となって私を導いていたと、いつの日か人生を振り返ったときに改めて思うに違いない。
グレッグ・ロングの略歴
2016年 Big Wave World Tourチャンピオン
2016年 〈セーブ・ザ・ウェーブス〉のAthlete-Environmentalist of the Year受賞
2014年 Billabong XXL Ride of the Year受賞
2014年 National Geographic Adventurer of the Year 受賞
2013年 Big Wave World Tour優勝
2013年 Billabong XXL Surfline Men’s Performance Award受賞
2011年 SIMA Waterman of the Year受賞
2009年 Billabong XXL Ride of the Year受賞
2009年 Quiksilver Eddie Aikauで1位獲得
2007年 Billabong XXL Best Tow-In Wave of the Year受賞
2005年 Mavericks Big Wave Challengeで1位獲得
2005年 Billabong XXL Biggest Paddle-In受賞
2004年 Billabong XXL Performer of the Year受賞
2003年 南アフリカ共和国ダンジョンズのRed Bull Big Wave Africaで1位獲得
(パタゴニアホームページより抜粋 patagonia.jp)
(李リョウ)