近代サーフカルチャーに多大な影響を与えた専門誌の終焉
米国サーファー誌「Surfer」は、1960年にサーファー、アーティスト、フィルムメーカーのジョン・セバーソンによって創刊された。この本はこれまで世界のサーフィン界へ大きな影響力を持っていたために。サーフィンのバイブルと呼ばれることもあった。
セバーソンは元高校教師で、自主製作のサーフィン映画「サーフフィーバー(三作目)」の販促としてThe Surferという名の冊子を作った。体裁は横長で36ページのモノクロ印刷だった。
彼はその冊子を5000部販売し、十分な資金を持って年4回発行のThe Surfer Quartely を1961年に創刊した。サーファー誌より以前にサーフ系の雑誌はすでにあったが短命に終わっている。
カラー印刷が導入されたのは1962年でセバーソンは隔月発行に踏み切る。(毎月の発行は1978年から)名前が Surferとなったのは1964年。60年代中期にはこのスポーツを代弁する雑誌としての地位を獲得し、他のサーフィン系雑誌の追随をことごとく退け、その後、世界中で誕生したサーフ系雑誌の雛形となった。
初期のサーファー誌の雰囲気は落ち着いていて保守的だった。記事の内容は旅行記、コンテストリポート、サーフポイントの紹介、ビッグウェーブの画報、サーファーのインタビューなどで構成された。
セバーソンはサーフィンに精通したライター(フレッド・バン・ダイク他)やフォトグラファー(ロン・チャーチ、ロン・ストナー)そしてデザイナー(ジョン・バン・ハマースベルド)を雇った。画家リック・グリフィンによるマーフィーという漫画も掲載され、60年代のサーフィンを象徴するイメージとなった。
オーストラリアのジャーナリスト、ジョン・ウイッチグが1967年に書いた『 We’re Tops Now』はアメリカのサーフィン界を挑発した記事として多くの人の心に焼き付いている。
サーファー誌の大きな変革となったのは、1968年に編集スタッフのドリュー・カンピオンによってカウンターカルチャーとしての色を強めていったことにある。コンテストを否定し、ドラッグについても言及し、環境問題にも触れたり、黙示的な小説や自由詩なども掲載した。その後セバーソンは1971年にサーファー誌を売却し、編集をスティーブ・ペズマンに委任した。(ペズマンは後にサーファーズジャーナルを創刊)
70年代中期になるとサーファー誌の最大のライバルとなったサーフィン誌が創刊される。70年代後期から80年代にかけてサーフィンの人気が急激に高まったことも影響し、発行部数などでも両誌は接戦となった。サーファー誌が10代の後半から20代前半の読者層をターゲットにしたのに対してサーフィン誌はそれよりも若干若い層をターゲットにした。
サーファー誌は他の分野の人々にも読まれるようになり。1981年のロサンゼルスの記事にサーファー誌を読む著名人の名前が掲載された。ブルック・シールズ、アンディ・ウォーホル、ジャッキー・オナシス、トム・ウルフ、チャールズ皇太子等。芸術家で女優のグロリア・バンダービルトは「一般のファッションを知るにはパーフェクトな雑誌、写真が多くてストーリーは少ない、それって魅力的だと思うわ」と述べた。
1991年にはグラフィックデザイナーのデビッド・カーソンが新たな新風を巻き起こし、デザイン界で最もよく知られたベストフィギュアという評価を得た。また『Cold Sweat』という記事でマーベリクスが初めてメディアで紹介され有名なビッグウェーブスポットとして知られるようになった。
90年代中期から00年にかけてはスティーブ・ホークやサム・ジョージなどが十分に事前の調査を行い、ローカリズム、サーフリポート、そしてドラッグとサーフィンをテーマにした記事が掲載された。
サーファー誌はこれまで多くの優秀なジャーナリストやフォトグラファーを輩出してきた。ライターには、フィル・ジャレット、ケビン・ニュートン、クレイグ・ピーターソン、デレク・ハインド、マット・ジョージ、マット・ワルショー、ベン・マーカス、スティーブ・バリオッティそしてルイスサミュエルスなど。
またフォトグラファーにはアート・ブルーワー、スティーブ・ウィルキングス、ジェフ・ディバイン、ウォーレン・ボルスター、ピーター・クロフォード、ドン・キング、テッド・グランボー、ジェフ・ホーンベーカー、トム・サーベイ、クリス・バーカード、ジョン・ケンウォーシー、そしてジェイソン・チルズなどがいる。
サーファー誌では読者の人気投票によるサーファーポールを1963年より主催し毎年表彰式を開催していた。サーファーマガジンビデオアワードは1996年から開催された。またウェブマガジン、surfer.com は1995年から始まった。(このサイトも休刊に併せて終了となる)
長い期間サーファーパブリケーション(サーファー誌)の親会社であったフォーベターリビングが1998年にピーターソンパブリッシングへと権利を売却。そのピーターソン本体がEmapパブリッシングに買収される。2001年にサーフィン誌の親会社であるプライメディアがEmapを買収。それによって長年のライバルであったサーファー誌とサーフィン誌が同じ親会社の配下となった。
2007年になると、この2つの本の権利はソースインターリンクに買収された。2013年にソースインターリンクはトランスワールドサーフの親会社となり、サーフィンの三大誌が同じ会社の配下になった。
2013年のサーファー誌の発行部数は103,000部だった。2020年コロナウィルスの影響により休刊となり、60年間続いた歴史に幕を閉じた。
PS. サーファー誌、最後の号となるFall 2020は近々発売される予定。
(李リョウ)
この記事の情報ソースは Encyclopedia of Surfing by Matt Warshaw