史上初の五輪メダリストサーファーが誕生し、多くのドラマが生まれた今年7月の東京オリンピック。現地の大会会場からレポートを行っていたTHE SURF NEWS取材班が、試合の名場面から映像配信されなかった舞台裏まで記憶に残るシーンをピックアップ。
五十嵐カノアの逆転エアー
五輪サーフィンの報道の中で、恐らく最も多く取り上げられたであろうこのシーン。大会最終日、セミファイナルでブラジル代表のガブリエル・メディナと対戦した五十嵐カノアは、このエアーでメダルを確定させた。
自身も「事実上の決勝戦」だと思って挑んだというこのヒート。優勝筆頭候補であるガブリエルは序盤から完成度の高いエアリアルをたたみかけ、カノアは9.03ptのハイスコアが必要な状態に追い込まれる。残り8分、極限までプレッシャーがかかった状態で繰り出したフルローテーションエアーを見事にメイク。9.33のスコアがコールされ大逆転で決勝進出を決めた。
編集部A「逆転に9ポイントが必要となり、今年のCTのガブリエルの怪物のような強さとマシーンのような安定さを見ても万事休すかと思いました。カノアは一本前のライディングで大きなエアーを狙って失敗していたし…。あのランプセクションから飛び出してのフルローテーション、完璧な着地を決めた瞬間は鳥肌が立ちました。やはり、勝負は終わるまで諦めてはいけないと思い知らされた場面でもありました。」
都筑有夢路 堂々の銅メダル
2021年、リプレイスメントでCTに4戦出場し、ISAワールドサーフィンゲームスでは上位入賞で五輪出場権を獲得した都筑有夢路。オリンピック本番では、タティアナ・ウェストン-ウェブ、サリー・フィッツギボンズ、キャロライン・マークスと錚々たるサーファーを次々と下して銅メダルを獲得した。ダークホースの活躍は見る者に勇気を与えた。
フォトグラファー三浦安間(以下三浦)「通常ならノーサーフのハードコンディションの中、ここにいくの!?というメンズでも躊躇しそうなエグい場所に技をかけるところ。安定感あの時あの場所では確実に世界トップレベルでした。」
編集部A「1回戦からCT選手に囲まれて負けても敗者復活戦で取り戻し、そこからタティアナとサリーを立て続けに倒したのを見てメダルを予感しました。キャロラインとの3位決定戦は普段ならクローズアウトで誰も入らないような波で忍耐力勝負のような感じでしたが、最後まで集中力を切らさなかったのが勝因だった気がします。海から上がってきて、波乗りジャパンのメンバーと涙ながらに銅メダルの勝利を分かち合うシーンを見て、本当に良いチームだったんだなと感じて、五輪で最もうるうるした瞬間でした。」
大原洋人が見せたローカルヒーローのプライド
QFで前年度世界チャンピオンのブラジル代表イタロ・フェレイラと対戦した大原洋人。左のピークで続々とスコアを重ねるイタロに対し、志田の正面にパドルアウトした大原洋人は1本目のチューブライディングで会場にいた関係者らを沸かせた。試合展開としてはコンビネーションスコアに追い込まれ、残り30秒を切ったところで、逆転の望みはないと分かりながらもテイクオフ。その最後の一本で力強い2マニューバーを描きベストスコアを更新した。
フォトグラファー飯田健二(以下飯田)「他の選手が左のピークで勝負するなか、志田のメインと言われているエリアへ何度もドルフィンしながら出ていく姿は”これぞローカルサーファーの意地”と泣きながら撮影しました。」
三浦「1本目のチューブライドはただただ衝撃でした。思ったより点数が出ませんでしたが撮っていて鳥肌が立ちました。」
群を抜くブラジリアン達の練習量
大会の5日前から、会場となる志田下での公式練習が開始され、その間各国の選手達は自由に練習を行っていた。タイドや連日30度を超える気温を考慮しながら、タイミングを選んで練習する国もあるなか、どこよりも長く海にいたのがブラジル代表達だった。
三浦「とにかく試合前でもこんなにサーフィンするんだと驚きました。ハードなコンディションにも関わらず朝一からどこの国よりも海にいて波に乗っているその体力とメンタル、やはり世界一をとるだけあるなと。実際に見たイタロとガブのエアーの高さと滞空時間は普通じゃなかったです。」
飯田「パドルアウト前の準備体操も普段志田で見かけるものとはレベル違い。フリーサーフィンは異次元でサーカス団が来たかのようでした。その反面、イタロがタティアナに技をお手本を見せていた場面は、世界中どこでも一緒だと和みました。」
決勝後に崩れ落ちた五十嵐カノア
セミファイナルでガブリエル・メディナを倒し、決勝に進出した五十嵐カノア。対戦相手はもう一人の優勝候補イタロ・フェレイラだ。イタロは序盤に板が折れるハプニングに見舞われながらも着実にスコアを重ねたの対し、カノアはリズムを崩したように波選びに苦戦。4年間望み続けた金メダルをあと一歩のところで逃し、海から上がってきたカノアは波打ち際に崩れ落ちた。
編集部B「“誰よりもオリンピックのために準備してきた”と語っていたカノアが倒れ込む姿を目の当たりにして、改めて彼がどれほどオリンピックに献身してきたのかと胸を打たれました。銀メダルの喜びより金を逃した悔しさが溢れた瞬間でしたが、そんな状況でも“毎日波を送ってくれてありがとう”と海の神様に感謝していたと知り、人としての器の大きさを感じたシーンでもありました。」
ケガでも魅せるジョンジョンのスター性
五輪の直前まで、欠場が噂されるほど左膝の怪我の状態が心配されていたアメリカ代表のジョン・ジョン・フローレンス。試合前の公開練習でもほとんど練習せず、明らかに怪我からの回復具合が完全ではないような様子だった。しかし彼がビーチに降り立った途端に現場の空気は変わり、そこにいる者全ての視線を惹きつけていた。
三浦「正直あまり調子が良くはなさそうでしたが、海にいるだけで周りの空気が変わり一人だけ違うところにいる人のように感じました。その存在感、調子が悪い中でも見せ場を作るサーフィン。特にコロヘとのヒートは、負けてはしまいましたが、見ている人を魅了したベストヒートの一つではないでしょうか。スターという言葉の意味を感じた貴重な経験でした。」
波乗りジャパンの絆
五輪が決まってから長きにわたり開催地の代表として期待をかけられてきた大原洋人。五輪本番ではイタロを相手にQFで敗退したものの、その後も試合の残る波乗りジャパン選手の応援を続けた。会場は無観客で、入れるスタッフも3名のみ。選手を間近でサポートしできる人がごくわずかしかいないなか、大原洋人の存在は選手達の結束を強めたはずだ。
編集部B「自分のヒートが終わり、悔しさや疲れもあったと思いますが、その後もビーチに立ち続け残るカノアやあむちゃんの応援をする姿は印象的でした。人数制限で会場に入れないスタッフの分までサポート役もしていたと聞き、この結束力あってこその波乗りジャパンの結果だと思いました。」
ガブリエルとのSFに向かう途中、五十嵐カノアは直前にサリーを倒して海から上がってきた都筑有夢路に向かってエールを送った。
編集部C「世界の強豪とメダルを争うオリンピックでは、経験・実績もある五十嵐カノアの存在が波乗りジャパンのチーム内でも精神的な支えになっていたと思いますが、そのカノアの大一番、ガブリエルが相手のメダル決定戦。普段、試合前のカノアは自分自身に集中しているイメージがありますが、事実上の決勝戦ともいえるこのヒートのゲッティングアウト直前でも、チームメイトの活躍を気にかけエールを送る姿には胸が熱くなりました。」
メディアルームの規模
国内の大会ではメディアルームがないことも珍しくないが、五輪のサーフィン競技会場では200名以上収容できるメディアルームが用意され、記者会見スペースも併設された。空調設備や電源、インターネット回線はもちろん、記者会見での同時通訳システムや、公式スコアの専用プリントアウトシステム、フォトグラファー専用のロッカールームなどが用意された。
編集部「五輪が近づくにつれ、ISA世界大会のメディアルームは年々規模が大きくなっていましたが、その中でも五輪は段違いでした。取材陣には毎日3食違うメニューが用意され、ドリンクも飲み放題。たった3日間の大会のためにどれほどの準備がなされたのかと感じました。」
柵のある会場、逆光の撮影現場
これまでのサーフィン大会では、選手、大会関係者、メディア、関係者が全て同じ空間をシェアしていたが、五輪会場内は持っているパスの種類によってアクセスできるゾーンが細かく区分けされた。メディア関係者の中でもランクがあり、ゾーンを跨ごうとするたびに細かくパスの確認を受けるなど、THE SURF NEWSチームにとって不慣れな環境での取材の日々となった。
飯田「オリンピックは全てが怪物でした。一宮在住の自分にとってここは慣れている現場なはずなのに、世界の一流カメラマンと同じフィールドで撮影するのはものすごいプレッシャーでした。撮影可能エリアは毎日変わり、割り当てられたエリアがずっと逆光だったこともありましたが、先輩カメラマンのアドバイスのおかげで乗り越えることが出来ました。」
ヒートが終わった選手は、ミックスゾーンと呼ばれるインタビューゾーンを必ず通らなければいけない仕組みになっている。そのゾーンの入口で国内外の主要テレビ局が待ち構えインタビューを行い、それが終わると、その他各国のメディアが言語別に集まり、お目当ての選手を捕まえて質問をする。選手達はヒートが終わるたびに何度も何度もインタビューに答えていた。
編集部「これまでインタビューゾーンのことを何故“ミックスゾーン”と呼ぶのか分からなかったのですが、異なるパスを持つ選手とメディアが唯一交流できる場所、それがミックスゾーンなのかと五輪でやっと理解しました。選手とフランクに話せる場がないのは少し寂しさも感じましたが、巨大なイベントを安全に行うには必要な対策ということで、’大人のルール’を味わった気分でした。」
台風が届けたダイナミックなステージ
“サーフィン道場”の異名を持つ志田下だが、夏は台風が来ない限りスモールコンディションになることも多く、以前から五輪期間中の波の有無が話題に上がっていた。実際、2020年に行われていたら殆どがヒザ波だった。しかしそんな心配も無用。五輪が始まってみれば、台風8号が千葉県沖を通過し波は日に日にサイズアップ。大きな波で決勝を行おうと、ファイナルデーは1日早められ、決勝当日は公式レンジ5-8’ (1.5m-2.4m)で強いオンショアのハードコンディション。海は史上初のオリンピアンサーファー達にダイナミックなステージを届けた。
編集部「なぜ1日待たずあの日に決勝を行ったのかという声は多く、様々な“大人の事情”もささやかれていました。しかし、五輪選手でもなければとても海には入れないあのコンディションでのパフォーマンスは圧巻でした。競技目線では、やはりオフショアの翌日がベストだったと思う反面、サーフィンの知識がない人が“日本でもこんな波が来るんだ”と言っていたように、良くも悪くも強烈な印象を残してくれたステージだと感じました。」
2016年にサーフィンが東京オリンピックの追加種目に決まってから5年。誰もが予想をしていなかった新型コロナウイルスによる延期を乗り越え、2021年に無観客ながらようやく本番が開催された。
その間、男女各20名、各国最大で男女各2名という狭き門を巡り、各国では代表選手の選考が行われた。日本では暫定出場権を得ていた村上舜と松田詩野が最後の最後で出場権を失い、フィリッペ・トレド、ケリー・スレーター、レイキー・ピーターソンなどは世界TOP10入りしていても出場できなかった。出場資格を得てからも、怪我や直前のPCR検査で欠場を余儀なくされた選手もいる。
そのような困難を乗り越えて集まったオリンピアン達は、それぞれの国やさまざまな思いを抱えて、あの会場でベストパフォーマンスを披露した。イタロ・フェレイラとカリッサ・ムーアという2人の史上初金メダリストサーファーが誕生。日本は五十嵐カノアが銀、都筑有夢路が銅と2つのメダルを獲得し、国別では最多のメダル数となった。
メダリストたちは「ここに至るには多くの支えがあり、このメダルは自分の人生に関わった全てがあってこそ」と口を揃えた。その言葉通り、オリンピアンたちやそのサポーターは勿論、出場を逃した選手や大会運営者たちの長きにわたる準備がなければ、あの大舞台は実現しなかっただろう。オリンピアン、サポーター、運営者、そしてこれまでのサーフィン歩みに関わった全ての人に敬意を表したい。
「デューク・カハナモクの夢が101年の時を経て叶いサーフィンがオリンピック競技になったことは特別なこと」
ー女子金メダリスト カリッサ・ムーア
「全てのサーファーがここまでの歴史を作り、全てのサーファーがこの金メダルの一部なんだ」
―男子金メダリスト イタロ・フェレイラ
(THE SURF NEWS編集部)