本名、ロバート・ケリー・スレーター
1972年、フロリダのココアビーチ生まれ。両親はステファン・スレーターとジュディ・モリアリティ、2人は釣具店を経営していた。ケリーは3人兄弟の次男。兄はステファン、弟はシーン。
10代ですでに無敵のアマチュア選手として知られ、4年連続で全米チャンピオンのタイトルを獲る。14才のときにイースタン・サーフィンフェスティバルのボーイズとプロのデビジョンで勝つがアマチュアで活動を続けるために賞金は辞退。
18才でプロに転向。1990年トレッスルズでのボディグローブ・サーフバウト(賞金$100,000)で優勝。クイックシルバーと高額で契約。(数千万円)
スレーターはサーフィンの実力に加えて端正な顔立ちで『スレーターマニア』というファンが生まれた。サーファー誌はその人気をエルビス・プレスリーの若い頃と比較。ピープル誌は『50人の特に美しい人々』にスレーターを選ぶ。
スレーターのサーフィンは年を追うごとに成長していったが、その基本は18才で完成されていた。
スタンスやバランスは元世界チャンピオン(3回)のトム・カレンに似ている。カレンの流動性には及ばないものの下半身のバネと柔軟性では優り、波に対するアプローチは革新的であった。
どのような波にも対応できるだけでなく、同世代のライバルたちよりも早くそして正確だった。そのパワーサーフィンはエッジコントロールの限界を超えてテールがスライドしたが、それでもスレーターはワイプアウトすることがなかった。また彼は当時まだ少数派だったエアリアルも積極的に取り入れた。
プロにデビューした1991年シーズンは43位に終わり、翌シーズンは期待されていなかった。
しかし、シーズン前半でライバルを引き離し、最終戦のパイプマスターズでも勝って初の世界チャンピオンとなった。20才という最年少で世界チャンピオンとなったスレーターは映画『モーメンタム』や『ブラックアンドホワイト』に出演し世界中の若い世代の手本となった。
高視聴率を獲得したテレビドラマ「ベイウォッチ」に出演し女優のパメラ・アンダーソンと出会い7年間の交際が始まる。1993年に世界ランク6位となるが翌年から5年連続でタイトルを保持する。
90年代に入りスレーターは変幻自在なチューブライディングスキルを確立する。波のフェイスを尻や両腕でストールしたり、ノーハンドのバックサイドチューブライディングとフロントサイドでチューブに入るようなサーフィンを可能にした。
そのチューブライディングのスキルが真価を発揮したのがパイプマスターズでの勝利(94,95,96,99)につながった。さらに1995年にグラジガンで行われたクイックシルバープロ、1995年のジェフリーズベイでも実力を発揮した。彼のギャラもそれにふさわしく推定では一年で一億円と囁かれた。
メディアの注目を集めるようになったスレーターはロサンゼルス・タイムスマガジン、インタビュー誌、アウトサイド誌で特集が組まれた。そして6度の世界タイトルと2度のトリプルクラウンを達成した後、スレーターは1998年シーズン終了後に引退を発表。ロブ・マチャドやピーター・キングと共にバンド『サーファーズ』を結成しグラミー賞を獲ったT-ボーン・バーネットのプロデュースで1998年にデビューするが人気は得られなかった。
同年、スレーターは独身のまま父親になったことを宣言。引退後もスレーターは世界ツアーにスポットで参戦し1999年のパイプマスターズ、2000年のガッチャプロ・チョープーで優勝。またマーベリクスで行われたビッグウェーブの試合で2位、2002年ワイメアで行われたエディインビテーショナルで優勝する。
2002年に世界ツアーに復帰。期待されたものの総合9位に終わる。しかしカウアイ出身のアンディ・アイアンズの活躍でスレーターの闘争心に火がつく。2003年2004年はアイアンズが世界タイトルを獲りスレーターは2位だったが2005年と2006年に世界タイトルを奪還する。
その後も世界タイトルを築き上げたスレーターは2011年に11度目の世界タイトルを39才にして手にする。パイプラインマスターズのトロフィーは2008年で6個。
プロサーフィンの記録を次々と塗り替えたスレーターは2012年にも12度目の世界タイトルを狙うが目前にして逃す。2013年は7度目のパイプラインマスターズに勝ったものの惜しくも世界タイトルは逃す。
サーフィン以外の世界でも知られる存在となったスレーターはESPNのラジオショーにて、世界の歴史に残る偉大なアスリートとなったかという話題で論じられるまでになり、アンカーマン、ダン・パトリックはノーだけど限りなくイエスに近いと結論した。
2010年 米国下院の超党派がスレーターの達成した記録を褒賞する決議を採択。
GQ誌が2011年に『究極のアスリート25人』を特集しスレーターをその一人とし写真をカバーに採用。その中にはモハメッド・アリ、マイケル・ジョーダン、アーノルド・パーマーがいる。ESPNマガジン誌でヌード写真を披露。スミソニアン博物館では2011年のエキジビションスペースにスレーターのサーフボードを展示した。
2010年11月17日、ココアビーチにケリーの銅像が建立され市長が同日を「ケリー・スレーターの日」とすることを発表した。
サーファー誌の人気投票で8度選ばれる。また『50人の究極のサーファー』で一番となる。2位はデューク・カハナモク、3位はトム・カレン。
2002年ハンティントンビーチのウォークオブフェームに名を刻む。2003年初の自叙伝パイプドリームとフィル・ジャレットとの共著ケリー・スレーター:フォーラブを上梓。
2008年本格的な人工波のプールを開発するためのケリー・スレーター、ウェーブカンパニーを設立。
2014年4月1日のエイプリルフールに23年間在籍したクイックシルバーから離れることを発表。
2011年のある調査によるとケリー・スレーターの資産はおよそ30億円。
2013年の時点でスレーターは独身、住居はカリフォルニア、サンタバーバラ。
(李リョウ)