つい最近バイロンベイのフェスでプレミア上映され、3/11からオーストラリアの映画館で公開される「Girls Can’t Surf」でもフィーチャーされているポーリーン・メンツァー。
オーストラリア・シドニーの出身で、1988年に世界アマチュアチャンピオンとなった後、プロツアー初年度で5位になり、1993年には世界チャンピオンとなった。
当時の女性アスリートに対する待遇は、今以上に差別的で不十分であり、彼女がワールドタイトルを獲得した時でさえ受け取ったのは壊れたトロフィーのみで一銭も支払われなかったという。彼女の功績を改めて正当に評価し、当時支払われるべきだった彼女のワールドタイトルの賞金を集めるべくクラウドファンディングが現在行われている。
ポーリーンは裕福な家庭の生まれではなく、タクシーを運転中に父親が殺害され母親と3人の兄弟と育ったと言われている。持病の関節リウマチと闘いながら友人宅の裏庭やコンテストサイトで寝泊りしながら20年間ワールドツアーを生き抜いた苦労人だ。
1993年の世界タイトル戦の2週間前には発作を起こし、一時的に車椅子生活にもなった彼女は、自分の身支度もままならないまま海に復帰し驚異的なパワーと技術でタイトルを獲得したのだが、その栄光に対する賞金は設定されていなかった。この年彼女の唯一の収入源だったツアー賞金の総額は3万ドル程度で、そのうちの大半はイベントに参加するための経費だけで消えたという。
当時の状況と様々な理由で主要スポンサーを得られない中、男子の賞金よりはるかに少ない額の賞金で生計を立てながら、トップレベルで競争し不平等と闘ってきた女性プロサーフィンのパイオニアとも言える。
「Girls Can’t Surf」に登場するリサ・アンダーセン、パム・バリッジ、レイン・ビーチリーなどとともに、その技術とメンタリティで影響を与えたサーファーは数知れない。
プロツアーからの引退後、現在50歳になった彼女はバイロンベイでスクールバスのドライバーとして生計を立てているという。
80年代、90年代の女性プロサーフィンの道を切り開いてきた彼女の功績に対して、改めて正当な評価と経済的支援を行い輪をつないでいけないかと立ち上がったのは、リップカールのプロダクトマネージャーを務めるソフィ・マーシャルと、アクションスポーツジャーナリストのミミ・ラモンターニュ。
一週間足らずで目標の25,000ドルを達成し、現在もさらに増え続けている。目標額を超えた分に関しては、ポーリーンが選んだ障がい者サーファー協会などの慈善団体のほか、彼女と同じ病気に苦しむフィリピンの人々に寄付されるとのこと。
「Better Late than Never(遅れてもないよりはまし)」がこれほど当てはまることはないだろう。
「Pauline Menczer’s 1993 World Title」クラウドファンディング詳細:https://www.gofundme.com/f/pauline-menczer-world-title
(THE SURF NEWS編集部)