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ハワイのアウターリーフで大怪我をしたカメラマンが語った恐怖体験とは?

ハワイのレジェンドシェイパー、ベン・アイパが亡くなった翌日の1月16日、ハワイに今シーズン最大のノーススウェルが入った。

ワイメアではエディがコロナ禍で中止にならなければゴーサインが出されるようなソリッドな波にビッグウェーバーが集結。


更にアウターリーフではジョン・ジョン・フローレンス、マイキー・ライト、コア・ロスマンなどのビッグネームを交えたスペシャルなセッションが行われていたが、そこでサーファーではなく、ジェットスキーによる大事故が起きてしまった…。


この映像の中盤あたりからを見ると、クリーンナップセットと呼ばれる巨大なセットが入り、レスキューやカメラマンが乗ったジェットスキーが一斉に動き出す。
一瞬の判断と経験により、アウトとインサイドに分かれたジェットスキー。インサイドに向かったジェットスキーは難を逃れたものの、アウトに向かったジェットスキーはその波を超える際に上空に飛び上がる恐怖を味わい、間に合わなかったジェットスキーはあの巨大なウネリに飲み込まれてしまった。

この映像で先頭を走っていた黒いジェットスキーにはカム・リチャーズと後ろに乗っていたカメラマンのライアン・モスが乗っていた。
着地の際にフラットな海面に降りた衝撃で後部席のライアン・モスは腰椎の圧迫骨折の他、背骨と肋骨を骨折、病院送りになった…。

そんなライアン・モスに海外メディアのMSWがインタビュー。
その恐怖体験とは?

診断結果と現在の居場所を教えて

今はホノルルのクイーンズ外傷センターにいるよ。

診断結果は腰椎の圧迫骨折。
他に背骨と肋骨が軽度の骨折。

重症だね。何が起こった説明してくれる?

あのセットに皆捕まっちゃったみたいだね。

私達は撮影位置に着くためにちょっと動いていたんだ。
ジェットスキーが故障してアイドリングも後退もできない状態だった。

私はスチール撮影が主で、カム(リチャーズ)は、適切な場所に適切なタイミングへ移動するような最高の仕事をしてくれていた。

そして、あのセットが入った。
皆、本当に油断していたと思うよ。
私は急いでカメラをドライバッッグに仕舞い、カムに’Go!’と叫んだんだ…。

カムが波を超えて着地した時、何が起こったの?

無重力だったのを覚えている。
飛んでから着地するまでが途方も無い時間に感じたね。

カムがどれだけの速さで波を超えたのかは分からなかったし、理解するような状況ではなかった。
ジェットスキーにはハンドルがなかったので、私は立ち上がることもできず、足が衝撃を吸収してくれることだけを期待していたよ。
私はただ後部座席に座って、革のシートを必死で握っていた。

次の瞬間、大きな音がしてジェットスキーが真っ二つになったような感じだった。
同時に背中から腰、足の先までヒリヒリとした痛みを感じたよ。
 ’fuk!,fuk!,fu*k!’と連呼していたのを覚えている。
本気でね。

ジェットスキーが止まり、さっき飛んだ波の後ろには更に別の波が入っていた。
私はカメラを入れたドライバッッグを持ってジェットスキーから転がり落ちたよ。

’この波を乗り越えなければいけない’と自分に言い聞かせたのを覚えている。

幸いにもその波に飲み込まれることなく、乗り越えることができたけど、カメラが入ったドライバッッグはどこかにいってしまったんだ…。

強烈な出来事だったね。過去に恐ろしい状況に陥ったカメラマンと話すと彼らは機材のことを一番にしているけど、その時はカメラと安全のどちらを考えていた?

正直、両方を心配していたね。

まだ死にたくなかったし、機材は私の命でもある。
仲間のルッソがジェットスキーの荷台に乗せてくれて、ライブガードのブライアン・フィリップスの元まで連れて行ってくれたのさ。
そこで足腰の感覚、可動域を確認してくれたのが一番の救いだった。

今までは何よりも機材を気にしていることに罪悪感を感じていたけど、今回の経験をした後は99%の確率で安全を優先するよ。

その後は?

救急車が来て、ワイメアまで運んでくれた。
搬送されていた時、婚約者とその家族、姪がいたと思う。
皆私のことを見ていたよ。

婚約者は搬送されているのが私だと確信していなかったみたいだけど、義理の家族は確信していたそうだよ。
でも、彼女を不安にさせたくなかったから、伝えなかったんだ。

辛かっただろうね。そこから病院に運ばれたの?

はい。
クイーンズに搬送されたのは5時間後。
最初は家に帰れると思ったので、婚約者に電話して迎えに来てもらったんだ。
でも、それは大間違い。
彼女が側にいてくれたのが幸いだったよ。

その後、映像を見た? 

はい。
クイーンズに行ってスタッフと今後の計画を練った後にね。
ノースショアでは私に何が起こったかの噂が渦巻いていた。
ここのサーフィンコミュニティは本当に協力的で、何でも助けてくれるよ。

カムとは話した?

彼から連絡してきたんだ。
彼は大丈夫だと思う。
100%ではないけど、映像の中に2台のジェットスキーが飲み込まれているのが映っている。
カム、これを読んでいたら無事であることを祈っているよ。

最後に救ってくれたレジェンドにお礼の言葉を

ダニエル・ルッソ、ノースショアのライフガード、ワイメアとクイーンズの医療スタッフ。
SDカードを回収しようとしてくれたショーン・グレース。
ドライバックを見つけてくれたクルーに感謝するよ。

私を救ってくれたサーフィンコミュニティ全体と友人にも感謝する。
本当にありがとう。

お見舞いの電話をくれたダフイのエディ・ロスマンにも感謝する。


MSWによるとカム・リチャーズは無事に生還を果たしたとのこと。
なお、ライアン・モスを支援するクラウドファンディングのリンクは以下。

gofundme

PHOTO:© Gofundme

参考記事:INTERVIEW: Outer Reef Jet Ski Launch “I Thought I was Paralysed”

THE DAYとなった1月16日

ライアン・モスとカム・リチャーズが大惨事に巻き込まれたこの日。
最初にネガティブな部分を伝えてしまったが、アウトにいた多くのサーファーにとっては生涯忘れられないほど特別な一日になった。

一番衝撃的だった波はジョン・ジョンの以下のクリップ。
コア・ロスマンとタッグを組んだジョン・ジョンはクリーンで巨大なウネリにテイクオフ、真っ赤なサーフボードで美しいグリーンルームに包まれた。


ジョン・ジョンとタッグを組んだコア・ロスマンはあの特別な日を全て映像に残し、Vlogとして公開。

一般サーファーにとって超人とも思える彼らがどのように準備をしてどのような気持ちでアウトに向かうのか、ラインナップでの臨場感、セッション後の達成感などが映し出されるなど、サーファーのVlogとして最高の内容になっている。

なお、このVlogにはケリー・スレーターの姿も映っているので、後日彼の映像が公開される可能性もある。
ちなみに上のジョン・ジョンの映像、チャンネルで両手を挙げているのは恐らくケリーだろう。

1月16日 マウイ島

1月16日、巨大なウネリはマウイ島にも到達。

JAWS、ホノルアベイでも歴史に残るようなセッションになっていた。
JAWSにはカイ・レニー、ビリー・ケンパー、イアン・ウォルッシュ、アルビー・レイヤーなどのローカルを始め、マクア・ロスマン、ネイザン・フローレンスなどが山のような波に挑んでいた。
また、ウィメンズではジャスティン・デュポン、ペイジ・アーム、カーラ・ケネリーなどが限界に挑戦。
中でもマーヴェリックスで多くのセッションを積んだばかりだったジャスティン・デュポンはトーインでウィメンズがJAWSで入った中では最大のバレルをメイクした。

JAWSではすでに公開されているネイザン・フローレンスのVlogが面白い。

GoProでの臨場感あふれる映像の他、岸からの本格的な映像もあり、この日のセッションがいかに特別だったかが分かる内容だ。

20-30ftレンジのJAWSに挑めるのは限られたサーファーのみ。
それはCTサーファーでも然り。

マイキー・ライトとのワイルドカード争いに勝ったレオナルド・フィオラヴァンティはチームメイトと「マウイプロ」の舞台でもあるホノルアベイに向かい、素晴らしいコンディションを堪能した。

この模様はレオナルドがVlogで公開。

オアフ島でのPCR検査の様子から始まり、空港から貸し切りのような飛行機に乗り、スーパーで朝食を調達してホノルアベイに入る前のプライベートな映像も映し出されている。

もちろん、波は極上。

レオナルドはこの日7時間もサーフィンしたとのこと。
レギュラーフッターなら’一生に一度は行くべき場所’と昔から言われている意味が十分に理解できる内容だ。

(空海)

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