CTで15年間活躍、東京オリンピックサーフィン競技にもフランス代表として出場していたジェレミー・フローレスが8月10日から開幕するメキシコ戦の開催直前に事実上のCT引退を発表。
WSLでは2021年シーズンを最後にフルタイムの競技から身を引くとしているが、現在25位という彼のキャリアでは最低ラインのランキングを考えると今後はフランス戦などのワイルドカード出場などに限られてくるだろう。
”私は「引退」という言葉が好きではない。
何故なら、引退という考えではなく、次の章に進んでいるから。私は人生のほとんどをサーフィン競技に捧げてきた。それはジェットコースターのようなもので、浮き沈みの激しいものだったけど、精一杯やってきたよ。
素晴らしい瞬間もあった。
私はずっと誠実でいようとしたけど、時にはやり過ぎたかもしれない。
でも、ここはそれだけの価値があったんだ。
もし子供の頃、誰かが私の成功や人生について話してくれたとしても、私はそれを信じなかったでしょう。
プロのサーフィンのおかげで私は幸運にも幸せな生活を送り、家族全員を養うことができている。
ハイレベルなスポーツは冗談ではなく、舞台裏には人々の目に触れないものが沢山あり、激しく、エネルギーを必要とする。
父親になってからは、家族のために100%の力を発揮したいと思うようになったね。
ここ数年は、燃える気持ちがなくなり、最高のアスリートになるために十分な努力を怠っていた。
猛烈にトレーニングしている新しい世代についていくのは大変だったよ。
とにかく、最初から私を信じてくれた皆さん、信じてくれなかった皆さん、ありがとう!
おかげで今の自分があるよ。
今は新しいプロジェクトや友人とのサーフィン旅行を楽しみにしている。私ができる最善の方法で、ポジティブなメッセージを発信していくよ。
何年にも渡ってツアーで一緒に過ごすことができた全ての仲間に感謝している。
まだ子供だった私に夢を実現する機会を与えてくれ、24年間私を支え続けてくれたQuiksilverに感謝している。
そしてもちろん、これまでずっと私に付き合ってくれた家族にも感謝している。
いつも最高のサポートを受けているし、これからの人生も楽しみさ。”
レユニオン島から世界へ
ジェレミー・フローレスはインド洋に浮かぶフランス領の島、レユニオン島出身。
3歳の時にサーフィンを始め、少年時代から世界の波に挑戦。家族でオーストラリア、ヨーロッパ、ハワイに滞在しながら、プロサーファーになる夢を追い続け、Quiksilverと契約。
ケリー・スレーターの目に留まり、ジュリアン・ウィルソン、デーン・レイノルズ、クレイ・マルゾなどの仲間と「Young Guns」の一員として活躍の場を広げていった。
2007年にはCTデビューを果たし、ランキング8位でルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。
2010年、2017年にはパイプマスターの座を手に入れている。
また、2024年パリオリンピックの会場でもあるタヒチのチョープーでは2015年の素晴らしいコンディションでガブリエル・メディナを僅か2本の波で倒して優勝。
2011年はヘビーな10ftのバレルでハードチャージしたことが評価され、『Andy Irons Most Committed Award』を需要するなど世界最高峰のバレルマスターとしても名を馳せている。
また、2019年にはそれまで9位以上の成績をおさめたことがなかったフランス・ホセゴーの『クイックシルバープロ フランス』で念願の優勝。
フランス国籍の選手がフランスのイベントで優勝するのは史上初だった。
現在33歳のジェレミーはパートナーと娘のヒナヘイと一緒にタヒチで暮らしている。
今後は家族、フリーサーフィン、次世代のフレンチサーファーのサポートに専念するそうだ。
参考記事:Jeremy Flores Stepping Away From Full-Time Competition On Championship Tour
(空海)