東京五輪で、初めてサーフィン競技を開催した千葉県一宮町が、世界サーフィン保護区(World Surfing Reserves)の認定を目指し、申請へ向けた準備を進めていることが分かった。サーフィン保護区はサーフィン界の「世界遺産」と言われ、守るべきサーフタウンとしての価値と住民意識の高まりが期待される。
五輪のレガシーをどう後世につなげ、サーフタウンとしてのブランディングをどう行っていくか。模索が続く中で、一宮町は大きな目標に向かって動き始めた。
世界で12か所
世界サーフィン保護区はNGO「Save the Waves Coalition」が2009年に立ち上げた。目的は、サーフポイント沿岸の人々がその地域の環境、文化、経済的価値への認識を高めることで、新たな開発に巻き込まれないよう波と周辺環境を守っていくこと。
優れた波だけでなく、海岸線の保護にも力を入れ、経済的メリットも含めたサーフエコシステムの概念を取り入れる。認定されれば、世界に誇るサーフスポットとして内外へ発信できる。
審査は厳しく、認定ペースは年に1か所以下。これまで認定された地域は、世界で12か所あり、名立たるサーフタウンが並ぶが、申請から認定まで2~3年かかったケースも多く、日本を含むアジアで、認定された地域はまだない。
世界サーフィン保護区地域と認定された年
- 2009年 マリブ(米国)
- 2010年 マンリー(オーストラリア)
- 2011年 エリセイラ(ポルトガル)
- 2012年 サンタクルズ(米国)
- 2013年 ワンチャコ(ペルー)
- 2014年 バイア・デ・トドス・サントス(メキシコ)
- 2016年 ゴールドコースト(オーストラリア)
- 2017年 プンタ・デ・ロボス(チリ)
- 2019年 グアルダ・ド・エンバウ(ブラジル)
- 2020年 ヌーサ(オーストラリア)
- 2022年 プラヤ・エルモサ(コスタリカ)
- 2023年 ノース・デボン(英国)
厳正な審査基準は5項目
サーフィン保護区の審査基準
①波の質と一貫性
②重要な環境特性
③文化とサーフィンの歴史
④ガバナンス能力と現地サポート
⑤優先保全地域
審査基準の具体的な内容について、町民の一人として、一宮町のサーフィン保護区申請に協力する廣瀬玲士さん(26)が解説してくれた。
「世界サーフィン保護区は行政と町民がサーフタウンとして意識を高めていき、自然と文化の保護だけじゃなく、経済を含めたサーフィンの波及効果とサーフポイントの保護につなげていく取り組みです。世界遺産のサーフポイントバージョンに近いですが、世界遺産のように保護のために新たな規制がかかるわけではありません。また、サーフィンだけを保護するのではなく、サーフィンを含めた地域の魅力を守っていくきっかけになると考えています」
応募期間は毎年、春から夏にかけて。PDFで申請書を作りメールでSave the Wavesに送信する。見込みがありそうな地域に対しては、Save the Wavesが、さらなる情報の追加などのアドバイスをくれ、じょじょに申請書をブラッシュアップしていく。
審査は、専門家からなるInternational executive committee(国際実行委員会)とVision council(構想協議会)が様々な条件を鑑みて行い、認定の可否を決める。
祭り、多様な生態系がある一宮町
では、上記5つの審査基準を一宮町は満たしているのだろうか。
廣瀬さんによると、①は波のクオリティや1年を通していい波か、国際大会の実績があるかなどが重要。②は独特の生態系があるかで、一宮町は海だけでなく、里、川の自然が豊かで、トリ、ウミガメ、サンショウウオなど多様な生物が生息する。③は人々の間に海などの自然にまつわる文化や歴史があるか。④は、地元の住民と行政が主体となって、サーフィン保護区を求めているか。⑤は国や県、メディアから一宮町がサーフタウンとして重要視されているか。大きな開発プロジェクトに巻き込まれていないか、などが焦点になる。
廣瀬さんは「一宮町は五輪をやったし、祭りもある。日本のサーフィン史で一宮はどういう場所だったかアピールできる」と期待する。
町民の75%が町に愛着
一宮町は、2026年までの政策目標をまとめた「一宮町まち・ひと・しごと創生総合戦略」の中で世界サーフィン保護区認定を掲げた。狙いは「オリンピックレガシーとしてのサーフォノミクスの拡大」だ。
総合戦略策定にあたり、参考にしたのが町民アンケート。2021年7~8月に実施し、約300人から回答を得た。ちなみに、町の人口は約12000人なので、回答者の数は少し物足りないが…。
町に愛着・誇りを感じるかとの問いに約75%が「強く感じている」「少しは感じている」と回答。かなりの割合の住民が、町に前向きな感情を持っていることが分かった。
また、サーフォノミクスの効果について尋ねたところ、「移住者の増加・住宅の増加」が1位で41%。ついで、「一宮町の知名度向上」が29.8%、「サーファーの増加・リピート率の向上」が29.2%と続き、サーフィンによる町の活性化を実感する声が多かった。
地引網、別荘地、そしてサーフィン
一宮町の馬淵昌也町長は「湘南や日向、田原、牧之原なども非常に、優れたサーフポイントとして知られてるんだけど、一宮町は五輪をやったことで一等地を抜いた」と、日本で最初のサーフィン保護区にふさわしいと自負する。
そして、「サーフィンがやってくる前から、約7キロある一宮町の海は僕らの暮らし、文化にとって、欠くことができないものであった歴史があり、1970年代以降にサーフィンという巨大な波がやってきた」と、海との歴史を語り始めた。
「縄文時代は西の山丘まで海だった。だんだんと東に砂地が伸びて九十九里浜の平坦地が形成されたが、低湿地は年中、排水ができなくて農作物の生産力が非常に低く、水争いなどで3年に一度、人死にが出る悪い土地だった。でも、江戸時代になる直前かな、紀州から地引網がきて、肥料の原料となる鰯が大量にとれ、富を手にした」
明治以降、地引網は廃れたが、代わりに、海水浴場がある保養地として栄え、芥川龍之介や3人の内閣総理大臣経験者らを含む富裕層の別荘が100~200軒立ち並んだという。敗戦を機に別荘は急速に低落したが、昭和50年代までは海水浴場としての人気はあった。しかし、ビーチの浸食が進み、再び低迷。そこへやってきたのがサーフィンだった。
町民の4人に1人がサーフィンに関与
「年間60万~70万人のビジターが来られて、巨大な人の動きがある。サーフィンをきっかけに、こちらに居を構え本格的お仲間に入っていただける方もいらっしゃる。海岸部には、少なく見積もっても3000名ぐらい(町の人口の約25%)がサーフィンと比較的縁を深く持ちながらお暮らしです。海岸沿いの県道は、70年代前は松林と芋畑しかなかったが、今あれだけ、僕ら行政の誘導もないのに、新市街地が形成された。
町の中で社会的、文化的、経済的に構築されたサーフィンは、皆さんに選んでいただける町、あるいは一宮に生まれ育った皆さんが引き続いて住みたいと思う町であるために大事な柱。サーフィン保護区となれば、サーフィンだけでなく、海やその周辺の生態系、宗教的儀式、漁場もトータルで守って先へ進んでいける」(馬淵町長)
さらに、馬淵町長は町民だけでなく、サーフィン保護区認定の効果は町を訪れるサーファーにも及ぶと期待する。
「外から来る人たちに対しても、ここはね、悪いけど世界有数のサーフタウンで目線の高い人がお互いを尊重して海入る場所だからって。乱痴気騒ぎだの暴力騒ぎだのは、ここではいけませんと納得してもらう。サーフィンは一つのライフスタイルで、自然とともにあり、お互いを尊重し、海と己が向き合い、波との一体感を楽しむ。そういう町になっていってほしい。サーフィン保護区はそのきっかけに、僕はなると思う。サーフィンのあり方そのもののグレードアップにも寄与してもらいたい」
目下の課題は、住民やサーファーの間で、サーフィン保護区についての意識をいかに高めていくか。認定条件の④を満たすため必須であり、一宮町の最大の課題だ。
町内には現在、サーフィン関連の人々をまとめるような団体は存在しないという。馬淵町長は約20軒あるサーフショップのうち約15軒が加盟するサーフィン業組合や、地元企業や学校などを通じて、まずはサーフィン保護区について知ってもらいたいと願う。「保護区認定は、サーフィンをしない人のためにもなる。みなさんに共感してもらえる回路を作っていきたい」
「地元漁師への配慮を」
サーフィンをしない人々への理解について、東京五輪が行われた志田下ポイントに近いサーフショップ「NAVIGATOR」のオーナー鵜沢清永さんは、町議会議長の立場として、地元の漁師への配慮を提案する。
「サーフィンの大会も地元の漁業組合の協力なしにはできない。今はいい感じの関係が築けている。町が『サーフィン保護区だー』って突っ走ったら、漁師さんたちが『俺たち聞いてない』ってなってしまう。特に、保護区になったからと言って、漁業に限らず、海で新たな規制が生じるわけではないことは知ってもらう必要がある。誤解されないよう海を一緒に保護していく者同士、説明と話し合いを慎重に進めてほしい」と話す。
一宮町のサーフィン保護区への申請は、総合戦略の期限である2026年までに行う予定。
(沢田千秋)