アジア、日本で初の「世界サーフィン保護区」を目指す千葉県一宮町が、取り組みの第一歩として、「一宮町魅力発表会」を開催した。あえて、町による一方的な「説明会」とせず、住民参加型で、町の良さと課題を再認識しながら、サーフィン保護区が町にどんなメリットをもたらすか、意識を共有する場として企画された。
背景には、今や町の最大のウリとなったサーフィンやサーファーを、依然として快く思わない住民がいるという事実がある。だが、保護区認定の必須要件の一つは「地元コミュニティの支援」。このため、町は、幅広い住民の理解を最大の目標に掲げ、会に臨んだ。
町は、保護区の認定は決してサーフィン振興に偏った施策ではなく、町全体の活性化、ひいては全住民の利益につながると強調。会全体を通して、サーフィンそのものの話はむしろ少なく、サーフィンをしないパネリストや聴衆が、サーフィンを軸に、町の産業や文化をどう発展させていくか意見を出し合う姿が印象的だった。
世界サーフィン保護区(World Surfing Reserves)
米カリフォルニア州に本部があるNGO「Save The Waves」が ISA(国際サーフィン連盟)などの協力を得て立ち上げた。世界中の優れたサーフポイントやサーフエリアとその周辺環境、文化、経済や地域的要素を保護し、将来につなげることが目的。 認定には、波の質のほか、豊かな自然環境、海を含めた地域特有の歴史、文化やコミュニティの連携などが何度も厳しくチェックされる。世界遺産を認定する国連機関 UNESCOのサーフィン版のようなもので、2009年以降、北米、中南米、欧州、豪州など12カ所が認定されてきたが、アジアで認定された地域はまだない。
サーフィンは年間70万人を呼ぶ町の柱
「今はサーフィンがこの町の一番大きな魅力の一つ、大きな柱になっている」
会の冒頭、馬淵昌也町長は明言した。町は、玉前神社を中心とする城下町としての発展、地引網や農業の活況、別荘地としての繁栄などを経て現在に至る。全国の市町村が人口減に苦しむ中、一宮町は周辺で唯一、人口を維持。最新の推計だと、2020年の11800人が、30年後の2050年は11200人で、わずか600人減でおさまるという。
理由はサーフィンがもたらす移住者の増加。年間70万人が町を訪れ、かつては松林と芋畑しかなかった海岸線にウェスタンテイストの市街地が形成され、3000~4000人が暮らす。
馬淵町長は「人口の現状維持、さらなる発展のために、サーフィンという柱をまずは中心に据え、農業、商工業など町を支える他の柱を一つにまとめ、一宮のパワーをアップさせたい。そのための施策の一つがサーフィン保護区への申請。サーフィンだけを守るんじゃない。認定によって、一宮の国際的、国内的なステータスは圧倒的になり、特別な海、特別な町になる。この町の文化、経済、自然をトータルで盛り上げることに繋がる」と呼び掛けた。
「地元との気持ちの共有がまだ薄弱」
町には、サーフィンだけでなく、ウミガメの産卵地としての特性や豊かな里山、伝統的に町を挙げて行う十二社祭りなどがある。そして、東京五輪で、世界で初めてサーフィン競技を開催した場所として、日本のサーフィンを代表する地域の一つとなった。
馬淵町長は「一宮の自然、経済、文化やサーフィンを含め、結構サーフィン保護区の基準に合っていると思うが、一番求められる基準でまだ薄弱だねと考えてるのが、地元の皆さんとどこまで気持ちを共有できるか、一緒に進んでいけるかという点。そこで、このような催しを企画した」と打ち明けた。
農家やプロサーファー、祭保存会などがパネリスト
魅力発表会のパネリストとして、町長、サーフショップ経営者、サーフィン業組合長、プロサーファーのほか、農家、十二社祭保存会青年部代表、ネイチャークラブ代表が登壇。司会は、若い世代の町民、そして移住者を代表し、廣瀬玲士さんが務めた。
「リラックスしてカジュアルな感じで」という廣瀬さんの呼びかけで始まったパネルディスカッション。最初のテーマはずばり、一宮町の魅力。
「一宮産トマトの血管若返り効果」「味が濃い無農薬の農産物」「男性だけでなく、子供も女性も移住者も参加できる十二社祭」「無数のホタルが生息する里山」「ウミガメ産卵の日本の北限地」などが挙げられた。また、他の地域よりも古くからの住民と新たに越してきた移住者の垣根が低いことも利点として紹介された。
最初の1時間はサーフィンの話なし
ここまで約1時間。サーフィン保護区の可能性について語る会合で、一度もサーフィンの話題が出なかったことは新鮮だった。裏を返せば、サーフィンに携わっていない人々が熱心にサーフィン保護区に向けて発言していた。
サーフィンについて口火を切ったのは、プロサーファーの原田正規さん。一宮町サーフィン業組合長の鵜澤清永さんとは10代のころからの盟友で、マイクを持つと「こんなやつが議長になって、町をここまでよくしようとする動きが本当すごくて」と、一瞬声を詰まらせた。言及したのは約15年前に町内の海岸で行われた護岸工事。
15年前には有志が護岸工事を中断
サーフィンの環境を守るため、鵜澤さんや原田さんら有志が立ち上がり、署名活動や国会議事堂への陳情、行政との話し合いを行い、工事は中断された。原田さんは「その結果がオリンピックに繋がった。一宮のすごいところはそういうパワーがあるところ」と熱弁。
サーフショップCHPを経営する中村新吾さんも「海、里山、川とか一宮の良さを子供たちに残すための土台にサーフィン保護区がなればいい」と語った。
一方で、一宮町の「もったいないところ」についても議論。町の農産品や観光資源についてのアピールがうまくないこと、いろんな取り組みをする人はいても横のつながりが希薄であることなどが挙げられた。
湘南並みのブランドへ
十二社祭保存会青年部代表の吉野健史さんは「サーフィン保護区を取っただけじゃダメだと思う。オリンピックの二の舞で、サーファーは知ってるかもしれないけど、ほかの人は知らないよ、では、意味がない。世界遺産みたいに人を呼び込むには、町だけには任せてられない。古くからいる人間では気付けない町の魅力をアピールすれば、湘南と同じぐらいのブランドにするポテンシャルはある」と、切り込んだ。
最後のテーマ、サーフィン保護区が町にもたらす良いこととは。トマト農家の室川典弘さんは、高齢化で後継者が減っている農業において、サーフィン保護区認定が、地元農業の保護や雇用に結びつくことを期待。ネイチャークラブ代表の増田美奈さんも「里山に来る子、海で遊んでる子たちが楽しそうにしてる。私たち大人が残していかなくちゃいけない」と、次世代のための自然環境保護につながると願いを込めた。
町長「予想以上の反応」
聴衆は終始、熱心に耳を傾け、パネルディスカッションの後は、意見表明のためにどんどん手が上がった。
「耳が聞こえない」というボディボーダーの女性は、町に移住して25年。「聴覚障害者にとっても海は平等。補聴器をとっても海は関係ない。耳が聞こえない人のイベントを開催してもらい、ありがとうございました。一宮には車いすのサーファーがアクセスしやすいスロープがあり、たくさんの車いすの人が一宮の海に集まっている。この魅力を私も発信していきたい」と、保護区申請を応援。
一宮小5年の酒井達海くん(10)は、「一宮町って、有名な地引き網とか、お祭があって、やってた人がどんどん年齢が高くなってきて亡くなるかもしれない。僕、背がちっちゃいけど5年生なんです。だから友達とかに地引き網やろうよとか、十二社祭り一緒に走ろうとかやって繋げて、もっと良い町にしていきたいです」と宣言。会場は大きな拍手に包まれた。
また、海岸の侵食について、サーフィン保護区となることで、波や環境を守りながら一宮町ならではの対策が打てるのではないかという提案もなされた。
魅力発表会終了後、馬淵町長は「サーフィン保護区申請にあたり、一番弱かったコミュニティの呼応の部分がじょじょに形成されてきていると強く感じた。予想以上に反応はよかった。町のイベントでこれだけ集まることはなかなかない。みなさんが町に魅力を感じ期待している。発信力の弱さや横のつながりも改善しながら進んでいきたい」と話した。
(沢田千秋)